先祖調査を続けていますが、江戸時代中期の先祖名や生活状況が全く分かりません。
先祖調査を専門としている行政書士に質問したり、地元の郷土史会に質問しましたが、これ以上の発見は難しいかもしれない・・・との返答でした。
地元・広島に行く機会があったので、10年ぶりに自身で徹底調査を行うことにしました。
行政書士に依頼したら30万円前後は支払う必要がある内容だと思います。
旧土地台帳調査
広島法務局に行き「旧土地台帳」を閲覧できれば、明治時代に土地を持っていた人の名前が見つかるはずです。
閲覧も印刷も無料との事で、人生で初めて法務局に行きました。
ネット上では
「最近は閲覧を渋る法務局もある・・・」
と書かれていたので少し心配でしたが、、広島法務局では心よく複数の冊子を持ってきてくれました。
調査の結果、100ページ以上にわたり先祖の名前が載っていました。
印刷は申請書に書いて依頼する必要があります。
枚数が多いため印刷してくれるか心配でしたが、心よく引き受けてくれました。
「旧土地台帳」の表紙の印刷もお願いすると引き受けてくれました。
「旧土地台帳」から多くの土地を保有していた事はわかりましたが、先祖を遡るための情報は見つかりませんでした。
何度も見なおして新発見を期待したいです。
古文書調査
広島は古文書を積極的に集めているらしく「広島県庁県立文書館」に人別帳なども置かれているそうです。
が、保管しているものは安佐北区などの山地の地区の人別が多く、市内は原爆で燃えたのか保管していないそうです。
が、せっかく来たので何か読むか・・。
先祖は「カキ養殖」「ノリ養殖」「マユ養殖」をしていたことが分かっています。
であれば、カキ・ノリに関する古文書等を見れば先祖の情報が書いてあるのでは?
と思い「小川家文書」の閲覧依頼をしました。
- 草津・小川家文書(1819)
- P01 45 A10 〔江波西瀉の仁保島・江波島相論一件船 手方達ニ付江波島請書〕覚 宝暦 5. 7
- P01 45 A4 取交証文写(2冊)※仁保島渕崎浦藻崎蠣活場の件草津村 蠣屋中と差縺に付 文政 8.11
- P01 45 A5 乍恐奉願上口上之覚〔并免許付紙〕※大坂蠣売商事取続願書 明治 2.12 (草津村古組 4名・仁保島新組 3名・船年寄2名→大坂府裁判所)
- P01 45 A10 川中拝借場所江舟繋抗建置度儀願(2冊) 明治 6. 1 (草津村蠣商内舟持惣代2名・仁保島同2名他)
- P01 45 A9 〔仁保島藻崎草津生蠣ニ付〕記 明治 7.12.15
- P01 45 A5 〔安芸郡仁保島藻崎活場譲渡〕定約書 明治14. 3.15
- P01 45 A5 〔仁保島藻崎生場譲渡〕定約書 明治14. 3.16
- P01 45 A10 〔仁保島淵崎浦字藻崎蠣活場海面拝借出願之義ニ付歎願并願書御取消願〕
- P01 45 A8 貝類養育営業仕馴無代譲受証 明治14. 6.19(仁保島渕崎浦譲受人池田治平他→蠣営業惣代高木三右衛門)
小川家文書は「くずし字」で書いてあります。
例えば、上記の文献を調査結果に照らし合わせると次のようになります。
安芸郡仁保島
当分庄屋 原田十兵衛
庄屋 量平
同島の内淵崎浦
組頭 半助
長百姓総代 新八
同 清七
蛎師範代 平四郎(大浜)
同 七蔵(野島)
同 次右衛門(池田)
こんなものを一つ一つ読みながら調査する時間は今回はありません・・・。
ざっと見た限りは、、多分、、先祖の名前は無かった・・・、と思ってます。
広島中央図書館で図書閲覧
1時間~1時間30分程度しか時間がありませんが、地元にしか読めない書籍を時間が許す限り見ようと思いました。
- 広島県安芸郡仁保島村勢一覧
- 仁保島記
- 芸藩通志(げいはんつうし)1巻
- 芸藩通志(げいはんつうし)2巻
- 大河十軒屋誌
- 広島太田川デルタの漁業史
- 広島県編『広島県史』近世資料編Ⅱ(1976,広島県)
一番読みたかったのは「広島県安芸郡仁保島村勢一覧」です。
「一覧」と書かれているからには全員の名前が載ってる可能性が高い!
ただし数十分待たされた後に担当スタッフから、
司書「見つかりません。。紛失したようです。」
という衝撃の事実を伝えられました。
司書「ページ数は数ページでパンフレットタイプです。期待する情報はありませんよ。」
と言われましたが、イヤイヤ・・・、紛失してそのセリフはないでしょ。
仕方ないので、「大河十軒屋誌」「仁保島記」「広島太田川デルタの漁業史」を閲覧してみました。
全く期待してなかったけど、「広島太田川デルタの漁業史」に先祖の名前が載っていました。
時間のないし、もう少し真面目に読むか・・と、3巻全てを中古店で購入。
読み進めていくと、先祖の情報が多数書いてあります。
そもそも、本の作成協力者の一人が親族のようです。
そして新たな「屋号」と江戸中期の「俗名」を見つけることができました!
寛保3年(1743年)の仁保島かき船14艘の営業者
向洋9艘
原敬三
丹波格太郎(2艘)
岡田藤右衛門(2艘)
岡田孫三郎
大下雄三
山代吉右衛門
土手秀助
渕崎本浦5艘
金井半三郎(吉田屋)
奥村忠次郎(奥屋)
大浜未造
保田保兵衛(おうがみ屋)
和田辰次郎
寛保3年(1743) 12月-広島藩が特産のカキの増産・販売促進のため, 仁保島に牡嘱株船仲間を新設しました。
大阪堀川で営業することを認め、これを草津かき株仲間に加入させました。
その際のメンバーの一人に先祖がいるようです。
そして、明治14年(1886)や、明治36年のカキ船営業者の一覧にも名前がありました。
明治14年(1882年)頃大阪に上がるかき船は次のとおり
本浦
金井半右兵衛(吉田屋)
奥村忠次郎(奥田屋)
大町
大元太郎(後北海道移住)
和田辰次郎
渕崎
保田保兵衛(大上屋)
池田治右衛門(大谷屋)
大浜未造(吉和屋)
これで、1700年前後に生まれた人の俗名までは分かった事になります。
二代目の情報が皆無だが「保兵衛」、そして改名前は「◯四郎」だと思ってます。
墓石調査(分家編)
あろうことか直系の先祖だとされる麓屋太平次の墓は、無縁仏とされ撤去されてました。
誰の墓か分家の本家が理解してなかった事が原因です。ありえない・・・。
10年前に自分で撮影した写真だけが頼りになりました。
没年もこの通り撮影済。
昔は罰当たりと思ってたけど、写真は超重要!
墓石調査(本家編)
総本家の墓石周辺に、読めない墓が数基あります。
親族の聞き込みから、最も古い先祖の墓が下記だそうです。
2004年頃に280年続く墓があると聞いたので、1724年頃に没した方かな。
また、この墓石も本家筋の人のようです。
こちらは没年(1762年5月11日没)・法名(釋智善)が分かっているので過去帳から俗名が分かることを期待しています。
あともう一つ何者か分からない墓石があります。
朝の日差しの中で、この墓石に「俗名」という文字が刻まれている事が確認できました。
それで急遽、アマゾンで墓拓セットを購入し、拓本を取ってみました。
必要なものだけ買えば安かったけど、広島にいる間に荷物を受け取るには、このセットを買うしかありませんでした・・・。
が、一生懸命に墓拓を取ってみたけれど・・・。
何を書いているのか分からない・・・。
「保兵衛」と書いてあると思ってたけど「壬?安?古?兵衛」のようにも見える・・・が分からない。
没年も分からないけど、1670年~1730年頃に活躍した人なのかな。。この墓石には「釋信士」と書いてある。。さて?
分かってないこと
仁保島の漁業の歴史は新開で陸続きになった後1700年前後から急速に発達したので、江戸初期の先祖調査は厳しいと思ってます・・・
有益な古文書も見つかってないし、名前が残っている人も少ないです。
- 分かってない親族の血縁関係の確認
- 同じ親族で屋号が違うことがあるのか?
- 二代目の名前・業績(カキ業の古文書に名前がある可能性あり)
- 法名に対する俗名(過去帳調査)
- 古文書を調査(くずし字を読む)
- 読めない墓石の調査
ぐらいになるのかな・・・。
プロに依頼しても、仁保島に牡嘱株船仲間設立文書の原本を見つけてくれるぐらいで、やれることは殆ど残ってないと思ってます。。
地元の当時の庄屋も歴史に興味がないそうだし。
また10年間は新発見はなさそうだなぁ・・・