「アリは爬虫類」
「カモノハシも爬虫類」
「犬は何類かって?知らない。えっ哺乳類だって?哺乳類って人間とイルカでしょ。」
「ミミズは空を飛んでいる。」
「魚は刺身の格好で海で生活をしている。」
「コウモリ?鳥類と見せかけて実は爬虫類!」
最近、常識というものに欠けている小学生、中学生、また高校生が多い。
道路に所かまわず地べたに座ったり…、人の目気にせず化粧直し等
などは、時代の流れと解釈できても
知識人である人間ととしてあまりにも当たり前、常識と言わんべき事柄を
全く知らない。
「学校で教えてもらっていない。」
「誰からも聞いたことが無い。」これが彼らの
主張である。
現在、子供達が自然と接する機会が減りつつあることは事実である。
したがって、実際見たことがない。と言うのも理解出来よう。
しかしながら、そのような環境においても、触れ合いたければ
いくらでも触れ合えるはずである。問題なのは、興味がそのようなものから
遠退いているということである。
現代の時代の波に流され、我々は何も「不思議」と言う感情を持たないまま
まるで機械のように日々を生活している。
そのような世界に一体何がしたのだろうか。また誰がしたのだろうか。
現地に行かずとも映像で見ることができ、
魚なども捌いたことがない人が多く、出来合いを買ってくるだけ。
欲求不満を満たすためゲーム等を行い、
仮想現実を実際の世界のように感じ、現実との見境がなくなってしまっているのも
事実である。
常識というものは人から学ぶものではない。日常茶飯事で知っているものだ。
最近では言葉の間違いも多く見られる。
「情けは人の為ならず」なんかがそれであろう。この意味は
「情けを人にかければ、巡りめぐって自分に帰ってくる。だから情けを
かけましょう。」
と意味であるのに、「情けは人の為にならない」と解釈してしまう若者が多い。
余談だがこれは小学生の試験範囲である。また、直訳すれば
「情けは人の為ではない」と言う意味で、つまり、「情けは人の為ではなく、
自分の為である」と言う意味である。
このように、常識を知らぬまま社会に出て彼らは何ができるというのだろう。
伝統工芸品や、伝統行事を最近はあまり見かけなくなったが、消えてしまって
気がつくそれぞれの独特な趣もあるのではないだろうか。
最近の人々は、あまり物を大切に考えないが、思い出は決して
買い変えても手にはいるものではないのだが。