麓屋良左衛門が下黒瀬村で村役人(庄屋)と言う遺言が残っています。
時代でいうと1700年~1770年ぐらいを生きた人だと思われます。
と・・、前回も書いたが何の進展がありません。
考えられる範囲の調査は完了してしまいました。
過去帳の閲覧依頼をする
血縁関係は分からないけど親族だと言われている墓があります。
釋智善 (1762年没・宝暦12年5月11日没)
年代的には麓屋良左衛門ですが、彼も下黒瀬村から仁保島に移住した証拠がありません。
そんな時は過去帳です。
総本家は菩提寺に献金も多く、とても親しい関係です。
総本家から住職に連絡をしてもらいました。
総本家「5月に依頼して住職に快諾して頂いた」
との事で、果報は寝て待て!
4ヶ月後・・・
住職妻「寺の文献は如何なる目的であっても閲覧できません」
自分の情報を見る権利がないのはオカシイでしょ!!
総本山の本願寺には次のように書いてありますよ!!
過去帳等に記載されている内容は、その個人の基本的人権に関わる個人情報であり、公開は厳禁とします。
門徒からの問い合わせの場合、書面にてその目的・対象等の明示があったとき、その門徒の直接の先祖に関する部分の抜き書き等に限定して開示できるものとします。
宗門人別帳や、その他の仁保の書類一式も菩提寺が管理しているそうです。
一生、閲覧できることは無さそうです。
仁保の牡蠣株仲間の資料も全く発見できないが、寺に保管されてるのでは・・
同姓に連絡する
仁保島での調査は万策尽きた・・ので、黒瀬村の先祖調査に切り替えます。
黒瀬村に同姓がいれば、遠縁の可能性が高いです。
電話帳で調べると同姓の数世帯が一ヵ所に集中している事が分かりました。
電話か手紙か・・どう伝えるか・・
と迷っていましたが、そもそも
「同姓であるが読み方が違う可能性があるのでは?」
と言われて電話をかけてみた。
お婆さん「もしもし、ボウダです。」
私「すみません、間違えました。」
読み方が違うじゃない・・
何も進展がなかったの?
総本家の嫡男は、関東に引っ越していて、私の家の近くに住んでいることが分かりました。
家系図を送ったら電話が来ましたが、あまり興味は無さそうでした。
アメリカ赴任中に5代前で繋がる親族を発見し、調査を続け新しい事実も分かりました。
その部分を明確化して日本の親族に手紙を送ったところ、返信を頂きました。
疎遠だった総本家の方とメール交換は続いてます。
家系図を通じて親族関係は深まったかと思います。
今度のやること
黒瀬村の宗門御改帳・過去帳を見つけだす事が先決です。
- 妻側(船越村の橋田屋)を調査
- 宗門御改帳・過去帳・検地帳を探しだし閲覧
- 「藝藩輯要」の同姓調査
- 戦国時代以前の同姓の豪族調査
- 「保田古墳」等のある保田村の由来、古墳時代~戦国時代頃の郷土調査
- 「陰徳太平記」の同名調査
隣村で家系図調査されている方と連絡をとり、
菩提寺は、
徳正寺(東広島市黒瀬町兼沢760)
が有力だと分かりました。
徳正寺は江戸初期に真宗に改宗されており、それ以降の情報なら残っている可能性があるとのこと。
こちらの寺に問い合わせしてみようと思います。