数年前、キヤノンのカラープリンターのCMで、「カラスが黒いと誰が決めた?」
と問いかけながら、虹のようにカラフルなカラスが描かれていたことがある。
確かにカラスが黒いというのは人間の目で見た色彩での感覚である。
他の動物、昆虫の目から見るとカラスの体は黒色ではないのかもしれない。
私は当時はその様に解釈した。
またある知人も、「視覚障害の人の視覚を我々はおかしいと決めてしまっているが、
寧ろ間違っているのは我々の方なのではないだろうか?」
と言っていた。
この考えは私には新鮮に思えた。しかしながら、実際はどうなのであろうか。
地球上には色が存在する。これは間違いない。そして、色が個々違うことも
間違い無いであろう。また、動物も昆虫も色彩を区別している。これが今の
私の考えである。そのような考えに至った背景にプレゼンテーションというものがある。
この地球上はプレゼンテーションだらけである。いかなる生物もプレゼンテーションを
行っている。現在プレゼンテーションと言う用語は、主に企業等の広告の効果的提示に
用いられているが、「効果的表現」には全て用いられるべき言葉である。
そしてこの「効果的表現」は生きるもの全て本能的に兼ね備えている
ものだと考えられる。
地球上の種族には例外があるもののそれぞれ異性が存在する。その異性を振り向かせる
ため色々な求愛行動であるプレゼンテーションが行われてきた。
ある者は鳴き声、ある者は贈り物、ある者は力。
今では、キリンの首が長いのもより高い所の植物を食べるためで無く、
首が長い方が立派であり、異性に対しプレゼンテーションに利用されていると
考えられている。そしてある者は斬新な色彩により異性にプレゼンテーションを
行う。
魚、鳥、そして植物である。植物と言っても、受粉のため
に、昆虫や鳥に対しプレゼンテーションをして気を引いて
いるという意味である。
したがって風受粉の植物は引きつけるような美しい花は持たない。
こう考えると昆虫や、鳥も色彩を区別して、美しいものを美しいと感じる
感情が備わっているように思えるのである。
また、鰈のような周りの色に体の色を変化させる生物もいる。これは
明らかに色を区別し、認識しているはずである。
それぞれの単体に対し、価値観は違うとしても、全ての
生物に色彩感覚は備わっており、同様な色として見えているであろう。
余談だが、
自然界の花の色に純粋な白色はまだ見つかってない。我々が見る白色の花は
大抵は黄色などを最大限に薄めた色であり、人工的にしか現在白色は無いそうである。
そう考えると我々が見ることの出来る色彩の層も限られているようである。
しかしながら、黒色が黄色に見えることはない。
私が言っているのは厳密さの問題である。
我々の見ることの出来る色彩以上に幅の広い層を持つ生物が地球上、宇宙上には
存在するかもしれない。考えれば考えるほど、興味深い内容ではないか。