「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る」は誰が言い出したか?

井の中の蛙、大海を知らず。

 

言わずもがな、荘子の言葉だ。

思想家 有名な言葉
孔子 「温故知新」「和而不同わじふどう
荘子 「朝三暮四」「井の中の蛙
老子 「大器晩成」「和光同塵わこうどうじん
孫子 「風林火山」「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
韓非子 「矛盾」「郢書燕説えいしょえんせつ」「待ちぼうけ」

 

ある日、この言葉には続きがあると誰かから聞いた。

 
 

井の中の蛙、大海を知らず、されど空の広さを知る

井の中の蛙、大海を知らず、されど空の青さを知る

井の中の蛙、大海を知らず、されど天の深さを知る

 
 

何だこりゃ?

なんの反論にもなってない。

ただの論点ずらしであって負け惜しみでしかない。

空の青さは井の中の蛙に限らず皆知ってる。

そして井の中では、空の広さには気づけないだろww

暗い井戸の中で暮らすカエルの楽しみは、青空を眺めることだけだったかも知れない。

だからこそ、カエルは誰よりも深く、空の青さを感じることができた。

つまり、一つのことを繰り返すことで物事を極めることができる。

 

このような事を言ってる。というのは何となく理解できる。

 
 

いやいや、何も極めてないよね?

空の事すら断片的にしか知らないじゃんww

鳥が空を飛び、月や星が出て、雷で光る事すら井の中じゃ知らないんじゃない?

 

 

空ってさ七色の虹がかかるんだぜ?蛙 知ってるか?

 

 

ただ狭い日本国の気質なのか、この言葉は教育業界では概ねポジティブに捉えられている。

教員や校長が学級新聞・通信等で保護者や生徒に対してメッセージとして伝えている資料が大量に見つかる。

そして、ブログを漁ると

  • 感動しました!
  • 目から鱗です!

と書いている人も沢山いた。

 

これは一体誰が言い出して広めたのか?

興味をそそらないので放置してたが、この不毛な議論に終止符を打ちたいので調べてみた。

「井の中の蛙、大海を知らず」の語源

そもそも、このことわざは「荘子」の「秋水篇」の中にある次の話からきている。

 

井戸に住むカエルが東海に住むカメに向かって、井戸のすばらしさを語ったところ、カメから海の広大さをとくとくと聞かされて茫然とした。

 

中国語の原文は次のとおり。

「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。」

意味は

「井戸の中の蛙と海について語ることができないのは、虚のことしか知らないからだ。」

となる。

 

そして原文には続きがあり、

 

夏の虫と氷のことを語ることができないのは、夏の時季のものだからだ。

心がよこしまな人と「道」について語ることができないのは、ある教えにとらわれているからだ。

 

と続く。

「されど空の青さ(深さ)を知る」の語源

では下の句となるコトワザが誰の言葉なのか?

新選組 近藤勇氏の言葉?(2004年)

Amazonで色紙も売っていた。

 
 

なるほど、なるほど。

近藤勇が言ったのね。

 

 
 

言う訳ねーだろww

 
 

この話は、大河ドラマの「新選組!」で近藤勇を演じた香取慎吾に、脚本を書いた三谷幸喜が言わせた。

つまりフィクションだ。

 
 

第6回「ヒュースケン逃げろ」(2004年2月15日放送)

 

ヒュースケン(川平慈英)「日本が開国しなければ、世界から取り残される。日本には井の中の蛙大海を知らずという言葉があるだろう」

その後、暗殺されそうになるヒュースケンを近藤が逃がしてやる。

別れ際に礼をいうヒュースケン。

ヒュースケンさん、さっきの言葉には続きがあるのをご存知ですか?

首を横に振るヒュースケン。

井の中の蛙大海を知らず。されど空の高さを知る

近藤は噛み締めるように言い、ニコっと笑って去って行く。

 
 

うん。意味が全く分からない会話だ。

陶芸家 河井寛次郎氏の言葉(1962年)

この語源は

陶芸家の河井寛次郎氏

が昭和37年、72歳頃に生みだしたもの。

と孫も認めている。

 

私たちは「井の中の蛙、大海を知らず」という荘子の言葉からの格言を知っていますが、河井はそれを「井蛙知天──井の中の蛙、天を知る」と言い換えた言葉を残しています。(昨今この言葉がドラマや映画のせりふとして少し言い換えて使われたりしています)

河井寬次郎の言葉と生き方暮しが仕事。仕事が暮し。 | Discover Japan | ディスカバー・ジャパン

 

陶芸家としての活動ができない戦時中、戦後に河井寛次郎氏は書に自分のアートを見出したらしい。

意味は「その狭い井戸の中の蛙は天については誰よりも知っているスペシャリストである」との事なので、今のコトワザの語源と考えて良さそうだ。

小説家 北條民雄氏の言葉(1937年)

更に古い作品でも使われている。

ハンセン病で隔離されていた北條民雄が、昭和12年「山桜」で次のように書いてる。

しかし、私は二十三度目の正月を迎へた。この病院で迎へる三度目の正月である。かつて大海の魚であつた私も、今はなんと井戸の中をごそごそと這ひまはるあはれ一匹の蛙とは成り果てた。とはいへ井の中に住むが故に、深夜冲天にかかる星座の美しさを見た
 大海に住むが故に大海を知つたと自信する魚にこの星座の美しさが判るか、深海の魚類は自己を取り巻く海水をすら意識せぬであらう。況や――。

底本:「定本 北條民雄全集 下巻」東京創元社  1980(昭和55)年12月20日初版

北條民雄 井の中の正月の感想

 

ハンセン病を発症し井の中の蛙であると罵られても、自分にはそれ故見える世界がある。

 

あくまでも「井の中の蛙大海を知らず」を引用、揶揄した文学表現だ。

影響を受けた人・作品の例

「されど~」という後半(続き?)が慣用句にある、というのは捏造でしかない。

それを「続きがあって」というのは

 

無知、勘違いも甚だしい

 

あくまでも別物である。

この続きを広めてしまった人や番組を紹介する。

永六輔氏のラジオ発言(1970年)

1970年代にラジオ「永六輔の誰かとどこかで」で語っていたらしい。

「井の中の蛙に続くことばをご存じですか」
「大海を知らずに続くことばがあるのです」
「天の深さを知る ということばが続くのです」

 

そして、インスパイアされた放送作家の石井彰氏が、東京新聞の朝刊などでも紹介している。

私がディレクターをしているTBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」で
..(中略)..
この歌に「されど天の深さを知る」という下の句があることは知らなかった。永さんから下の句と、入船亭扇橋師匠が「井の中の蛙、大海を知らずとも、花も散り込む月もさす」という下の句を創作していたことも教わり、人生観が変わった。

2010年6月10日 東京新聞朝刊 15ページ「言いたい放談-『差し違え辞任』よくやった」から引用

 

また元岩波書店の編集者、井上一夫氏も次の書籍で次のように語っている。

そのときふと、ほかならぬ永さんに教えられた言葉を思い出しました。

「井の中のかわず、大海を知らず。ただ空の深さを知る」

古くからのことわざはそのままに、あらたな語句を追加すると風景が一変します。
どうやらそれなりに流布したものらしいとあとで知りますが

 

河井寛次郎氏や北條民雄氏の言葉を「ことわざ」化して全国に広めたのは永六輔氏のようだ。

君が教えてくれたこと(2000年)

最終話(2000年6月29日)で

長田先生「井の中の蛙、大海を知らず、されど天の深さを知る

と語るシーンかあったらしい。

亜紀人/咢 (エア・ギア)

2002年49号から2012年25号まで連載された作品。

 

 

井蛙不可以語於海者 而知空深

(C)亜紀人/咢 (エア・ギア)

 

カエルはね、囚われの身だからこそ自由って言葉の意味を誰よりも知っているんだ。

 

中国の漢文が掲載されていた。

これ覚えてる。

でもね、蛙にとって 世界の全てが井の中だから、「自由」という言葉そのものを知らないと思うよ?

小林よしのり(ゴーマニズム宣言)

書籍「ゴーマニズム宣言」「厳格に訊け!」に

「されど 空の深さを知る 」

という表現で掲載されていたらしい。

NHK朝ドラ「半分、青い」

NHK朝ドラ「半分、青い(2018年4月2日から9月29日)」でも使われたとのこと。

【おまけ】吉田章宏「大海の巨鯨 大海を知る、されど井の中を知らず」

蛇足だが、もう一つ語源が明確なものがある。

井の中の蛙 大海を知らず、

されど井の中を知る。 

大海の巨鯨 大海を知る、

されど井の中を知らず。

これは東京大学名誉教授の吉田章宏氏が作ったことわざ。

氏自身が認めており書籍やラジオなどで頻繁に語っている。

相手には相手の世界があります。それをお互いに認め合うことでコミュニケーションが成立し,互いに高めあうことができる,ということです。

また,その人だけが知っている世界があるということです。

まとめ

「北條民雄氏」や「河井寛次郎氏」の言葉を「永六輔氏」がアレンジしてラジオで広めてしまった。

と考えるのが自然だろう。

 

珍しく語源がハッキリした気がするが、確かな情報があれば教えて欲しい。

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