とうとう新型コロナウイルスが勤務地まで襲ってきました。
さらに臨時休校発動です。パンデミック発生!
地震、雷、火事、親父・・・じゃなくて、新型ウイルスだよ怖いのは・・・細菌も怖いけど。。
いや、、言いたいのはウイルスの話じゃなくて
「親父は怖くないだろ!」
何だよオヤジって・・・。
今回の「ねほり(=深堀り)」テーマは「地震、雷、火事、おやじ」です。
この記事の「ねほり度」 ★★★★★(独自調査が含まれ、専門家に提示できるレベル)
因みに、このネタは出尽くしている感じで、私の独自調査結果は(今回は)多くありません。
専門家にも協力して頂いた独自調査の続きは下記。
「地震、雷、火事、親父のオヤジ」の通説
雑学好きの間では知られている通説は次のとおりです。
台風の語源である「大山嵐(おおやまじ)」「大風(おおやじ)」「山嵐(やまじ)」がいつのまにか「親父(おやじ)」に変わった
ちなみに「山嵐」は山から吹いてくる風で「やまおろし」のこと。
つまり本来は
地震、雷、火事、台風
だったと言うものです。
この説明を学生時代に初めて聞いた時、私は「へぇ~」と納得してしまいました。
が、これが真っ赤な嘘
というのが最近の認識のようです。
KOF(The King of Fighters)でも利用されている
94だけのコンセプトのようです。
日本チーム「地震雷火事親父」
コンセプト | 名前 |
---|---|
地震 | 大門五郎 |
雷 | 二階堂紅丸 |
火事 | 草薙京 |
親父 | 草薙柴舟 |
主人公チームのコンセプトは「地震(大門)、雷(紅丸)、火事(京)、親父(柴舟)」であった。
こちらは、96、97頃のコンセプト・・・なのかも知れませんが、出典が分かりません。
オロチ四天王「地震雷火事大山風」
コンセプト | 名前 |
---|---|
地震 | 社(乾いた大地) |
雷 | シェルミー(荒れ狂う稲光) |
火事 | クリス(炎の宿命) |
山風 | ゲーニッツ(吹き荒ぶ風) |
KOF(The King of Fighters)ではこのネタが二重に使われているらしい。
日本チームの草薙京が炎、二階堂紅丸が雷、大門五郎が地震、そして京の親父の草薙柴舟で「地震雷火事親父」が揃っていて、オロチ四天王は、乾いた大地の社、荒れ狂う稲光のシェルミー、炎の宿命のクリス、吹き荒ぶ風のゲーニッツ、で「地震雷火事大山風」なんだそうな。
「親父=台風」説はどうやって広まったか?
TBS「え!これ知らなかったの?」(2013年)
近年の戦犯は下記です。
2013年11月27日放送(19:00 – 20:54)
TBS 水トク!「え!これ知らなかったの?」
「地震・雷・火事・おやじ」の「おやじ」は何をさす?という問題が出題された。正解は「台風」だった。お天気キャスターの森田正光によると、強い南風を「おーやまじ」と読んでいたことがなまっておやじになった。
【引用】TVでた蔵
何も知らないのは、お前だよTBS・・・
今放送してるTBSのクイズ番組で「地震雷火事親父の親父とは台風のことである」っていうデマを堂々と流してて、それだけじゃなくデマの出処だと思われてる本の著者の森田正光が「通説扱いするな」と言ってるにもかかわらずその森田が「親父=台風説」だと説明したことになってて相当に悪質だと思った
— 藤林きょうもえ (@jizou) November 27, 2013
嘘つきテレビ局が、またやってしまいました。
委託会社に丸投げなのでしょうが、調査力が低すぎます。
なお、出典元は森田正光氏になっているので確認が必要です。
チーム森田の天気を斬る「「地震・雷・火事・親父」考」(2010年)
「Yahooブログ」は2019年12月15日に終了しました。
タイミングを逃したので、アーカイブから抽出します。
2010年9月5日(日) 午後 0:01更新
この「俗説」は私の本をきっかけにネット上で増幅して
いったものかも知れないのです。そこで、慶應高校の先生にご連絡したところ、
「(親父=台風説は) 民俗学で論議されたことがあるようで、
親父「おおやまじ」語源説は民俗学では かなり定着したもののようです。
また、「親父」とは地頭を指すこともあり、両方の意味があるのではないか
・・・・・・・・・・(一部割愛)・・・・・・ 少なくとも民俗学の文献には
親父「おおやまじ」語源説の記述があるようです」(抜粋は森田による)との、ご意見をいただきました。
【引用】チーム森田の“天気で斬る!”
さらに、次のような記載があります。
先日、気象協会の大先輩の方からメールをいただきました。
実は、この方からも「親父=台風説」を教えていただいたことが
あるので、さっそく台風説について、お聞きしました。「昔、TBSラジオでダイヤモンドハイウェーという番組が
ありました。その中継で ”最近のオヤジは・・”と
放送して局に戻ると、四国で漁師だった方から電話があり、
天気予報がなかった大昔は、雲行きや風で出漁を判断していた。
南風は真風(まじ)それが強くなるとヤマジ、さらに
強くなると大ヤマジ、台風が来ると沖の船におやじだと叫んで
警戒を呼び掛けたそうです。」とのことでした。
とすると、少なくとも数十年前までは、「台風=おやじ」という
言い方がまだ使用されていたことになり、
「地震・雷・火事・親父」の親父は、=台風という説も
あながち突飛な考えではないということになります。【引用】チーム森田の“天気で斬る!”
森田氏は「俗説」だと認めてるね・・・
もう調査終了じゃん。
「気象協会の大先輩」「慶應高校の先生」からの見聞が出典元となってますが・・・
唯一の情報は「民俗学の文献には親父「おおやまじ」語源説の記述がある」ですが、現時点では見つかってません(情報をお持ちであれば教えて下さい)。
少なくとも、森田氏のブログを読む限り「台風=おやじ」と呼んでいた地域はある事は分かりますが、「地震雷火事親父」との関連は読み取れません。
TSSお天気キャスターブログ「地震、雷、火事、おやじ」…(2010年)
広島の民放サイトと2010年9月2日(木)更新内容です。
最後の「おやじ」。
怖いお父さん(親父)と思う方も多いかと思いますが、
実は台風などの影響で山から矢のように下りてくる「やまじ風」から来ており
特に強い暴風の「大やまじ」から、「おやじ」になったようです。「じ」とは風のことです。
特に、これからは台風シーズン。
風害や、大雨洪水(雷)、土砂災害が予想されます。
日ごろからの備えは忘れないでくださいね!
(中田隆一)
森田氏のブログの3日前の公開です。
タイミングが良すぎるので、森田氏の記事が内部で流れてたのかな・・・・。
「実は」の出典元が無いので、この方も見聞でしょう。
本当は怖い天気―異常気象の今後を予測!対策もわかる(2010年)
武田 康男 (監修)の「本当は怖い天気」に次のような記載があります。
昔の人は、台風のことを「野分」と呼んで畏怖した。
野の草を分けて吹きつける恐ろしい強い風という意味だという。
「地震、カミナリ、火事、親父」の親父も、実は山嵐がなまって「おやじ=親父」となったわけで、山嵐とは文字通り台風を意味する言葉【引用】4章 すさまじい破壊力で迫る台風、竜巻
武田氏も気象予報士です。
「実は」の出典元が無いので、この方も見聞でしょう。
朝日新聞「朝日新聞(週末版)土曜be」(2005年)
「・・・『地震、雷、火事、おやじ』のおやじは、オオヤマジ(大きい風=台風)がなまったという説もある」、と『お天気生活事典』などの著書がある福井地方気象台防災業務課長の平沼洋司さん(59)は話す。」
【引用】サザエさんをさがして 朝日新聞be編集部/編 朝日新聞社 2005.12(p.108-109)
(※この文章は2004年秋頃の「朝日新聞(週末版)土曜be」に掲載されたもの)
「説もある」と、やや控え目な書き方をしています。
そして、見つかるのは気象予報士の記事ばかりです。
民俗学の観点の記事は無いなあ・・・
森田正光「雨風博士の遠めがね―お天気不思議ものがたり」(1977)
「大やまじ」説がはじめて紹介された書籍は、森田正光氏の「雨風博士の遠めがね―お天気不思議ものがたり」(新潮社 1977)です。
やっぱり森田氏か・・・。
おやじ襲来期
「地震カミナリ火事オヤジ」
いつの頃からか言われ始めた慣用句かは知らないが、なぜそこに「オヤジ」という言葉が入っているのか、あらためてじっくり考えてみると、奇妙な感じがしないでもない。
(略)その語源について調べてみると、面白いことがわかった。
(略)台風という言葉も同様で、それが使われ始めたのは明治の末、気象学者の岡田武松博士が英語のtyphoonを「台風」と翻訳してからのことである。
では、それ以前には台風のことをなんと言ってたのかというと、「野分」または「山風(やまじ)」であり、前述の慣用句も実は「地震カミナリ火事やまじ」が変化したものであるとも言われている。【引用】森田正光「雨風博士の遠めがね―お天気不思議ものがたり」 p.37
以上が抜粋した森田氏の記載内容です。
森田氏によれば、昔、気象庁などの多くの大先輩が「大やまじ」説を口にされているのを聞いた記憶があり、調べてみたが、明確な根拠は見つからず、「こういう説もある」と紹介して、断定はしなかったそうだ。
【引用】地震、雷、火事、親父
2010年08月08日04:59 更新
と擁護する記載が多い。
しかし、森田氏は出典元の記載がないため、前述通り単なる見聞だとすれば「デマ拡散ツイート」する最近の若者と何ら変わらない。
そもそも「台風」の語源は?
そもそも台風が「やまじ」「おやじ」と呼ばれていたのかが明確になっていません。
なので、まずは「台風」を古来日本では何と呼んでいたのか?を調べてみます。
ただし台風の語源についても諸説あると書いている記事が多い。んなアホな。
台風(たいふう)(1946年)
学術的には岡田武松によって「颱風」と命名されたが、1949年ころから台風と書き変えられるようになった
【引用】平凡社「世界大百科辞典」
正確には、当用漢字が定められた昭和二十一(1946年)以降、「颱」の字が台に変更(代用)されて現在の「台風」になったようです。
颱風(たいふう)(1906年)
次は「颱風」の語源を調べる必要がありますが、ここで、2つの説が見つかりました。
- 台湾や大陸の福建地方で使われていた「颱風(タイフーン。or 大風)」を、明治時代末期に中央気象台長の岡田武松(おかだ たけまつ)が採用した
- 二十世紀初頭、tyhoon(タイフーン)に合わせて、岡田武松がタイフウ(颱風)と呼んだ
【引用】語源辞典 名詞編(草川昇著 東京堂出版 2003) p155
【引用】ギリシャ神話に由来?台風の「台」って何なの?台風の語源を紹介します
他にも次のような記載もあります。
「颶」が元来は「台風」の意味であったのが、いつの間にか「早手」にかわり、その後「颱風(たいふう)」という学術語が岡田武松によって作られ、気象要覧では、明治39年から、その名称が用いられた。
【引用】台風の語源(1984年)
岡田武松(1874年~1956年)氏が採用した事は間違いなさそうです。
それであれば、岡田氏の文献を確認すれば語源が分かるはずです。
颱風は夏から秋にかけて日本、支那、ヒリツビン、南洋及びその附近の海洋を荒らす大暴風であつて、暴風中では性質が最も強烈なものである、颱風と云ふのは昔からある名で別して新しいものではない。
福建誌にも「風大而烈者為颶,又甚者為颱」とあるので判かる、外國で「タイフン」と云ふのはこの語の音読に過ぎない。【引用】颱風の話 海洋気象台、1924年7月
はい分かりました。
福建地方で使われていた「颱風(たいふう)」を1906年から採用した
少なくとも、これは森田氏の調査内容とは異なります。
この時点で森田氏の記載内容に疑いが出てきます。
颶風(ぐふう)(ばいふう)(1856年)
「颱風(たいふう)」と呼ばれる前は「颶風(ぐふう)(ばいふう)」と呼ばれていました。
1857年(安政4)洋学者伊藤慎蔵(しんぞう)が熱帯低気圧についての専門書を訳したが、その題名は『颶風(ぐふう)新話』
【引用】台風の語源
そして「颶風」の出典元は中国です。
中国では、台風のように風向の旋回する風系(つむじ風)を昔から颶風(ぐふう)と呼んでいた
【引用】平凡社版気象の事典p332(平凡社 1999)
ですが、1857年より以前の文献にも「颶風」という文字を見つけることができます。
更に、その読み方は「ばいふう」です。
当時の江戸を襲った台風による被害状況を克明に描写した書物に「颶風(ばいふう)」と仮名が振ってあり「ウミノ大カゼ」との説明が書かれています。
然(さる)ふ今船の颶風(ばいふう)<ウミノ大カゼ>は筥根(はこね)の…
【引用】安政風聞集(安政3年:1856年) p.2
大風(たいふう)(1856年)
上記の調査をするなかで同じく「安政風聞集」の冒頭に「大風(たいふう)」と仮名が振ってある記載を見つけました。
去年の冬は大震(たいしん)あり。今年は大風(たいふう)ありて、
【引用】安政風聞集(安政3年:1856年) p.1
さらに以前の呼び方
色々な文献で多様な書き方がされています。
言葉として一般化していなかったことが伺えます。
颱(あかしま)(1811年)
それ大風烈しきを颶(はやて)といふ。又甚しきを颱(アカシマ)と称(とな)ふ
【引用】滝沢馬琴(ばきん)「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)(1807‐11)続」
「颱」の出典を調べてみる。
台湾では暴風のもっともひどいものを「颱」と言ってたようです(「台湾府誌(1694年)」より)。
颱は颶に比べてとくに強く、現れることは少ないが長く続き,五月から八月に多く、海上で遭遇してはならないとされ、
颱と颶は明瞭に区別されている【参考文献】小氷期における東アジアの強風災害とその変動、田上善夫、デマレーガストン、ミリエパスカル、地学雑誌、2018
颶風、逆風、秋風、猛風、大風(おおかぜ)(1286年)
台風で有名な出来事は「蒙古襲来(元寇)」です。
巷では「台風では無かった」説も存在しますが、そんな事はどうでも良く、当時の文献で「台風」を何と呼んでいたのか?が知りたいことです。
晴、或人云、去比凶賊船數萬艘浮海上、而俄逆風吹來、吹歸本國、少々船又馳上陸上、仍大鞆式部大夫(大友頼泰)郎從等凶賊五十餘人許令虜掠之
広橋兼仲「勘仲記」(1286年)
癸未(至元二十年)八月、欽奉聖旨、同提擧王君治奉使和國、宿留海上八箇月、過黑水洋遭颶風云々、半月後、忽飃至寺山之外、幸不葬魚腹、大士力也
【引用】善隣国宝記(ぜんりんこくほうき)巻上(1470年)
先陣已著于長府、蒙古大將出船、即日猛風吹破賊船、賊兵悉溺、歸者幾希、神國霊験異國舌、此時深堀左衛門尉時光、深堀彌五郎時仲有戰功
【引用】深堀系図証文記録
今日斬秋風、三、承仕郎回々都魯丁、年卅二、回々用人、四、書状官薫畏國人杲(果)、年卅二
【引用】鎌倉年代記裏書(1332年)
船二艘、顕はれ出て、皆うたれ、たまゝゝ沖に、にけたるは、大風に吹しつけられにけり、此事さき□(にカ)生捕[た]
【引用】橘守部旧蔵「八幡ノ蒙古記」
なお、元の文献では「大風」「不遇風」「颶風」という言葉で説明されています。
野分(のわき・のわけ)(1008年)
野の草を風が強く吹き分ける意味です。
秋から冬にかけて吹く暴風、特に、二百十日・二百二十日前後に吹く台風を意味しています。
「源氏物語」にもその名称を確認できます。
【原文】野分〔のわき〕、例〔れい〕の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出〔い〕づ。
【現代語訳】今年の野分(のわき)の風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほどに吹き出した。
あらし(嵐、冬風、阿下、荒足、荒風、荒、下風、山下)(885年)
古くは、山から吹き下ろす風を「あらし」と呼んでいたことから、冬季に山から吹き下ろす風の意である「颪(おろし)」に関係するとも考えられています
【引用】嵐(あらし) – 語源由来辞典
古今和歌集・真名序に次のような記載を見つけました。
吹くからに野辺の草木の萎るればむべ山風(やまかぜ)を嵐(あらし)といふらむ
【引用】文屋康秀「古今集第二百四十九番」
他にも万葉集などで異なる漢字で「あらし」という読みは存在します。
嵐(あらし)を詠んだ歌は11首あります。
秋や冬の嵐だけでなく、梅の花を散らす春のあらしも詠まれています。山から吹き降ろす強い風も「あらし」と詠まれています。
[原文]梅花 令落冬風 音耳 聞之吾妹乎 見良久志吉裳
[訓読]梅し花落(ち)らす冬風(あらし)し音(おと)しのみ聞きし吾妹(わぎも)を見らくしよしも【引用】「集歌1660」大伴宿禰駿河麻呂
[原文]吾背子者 待跡不来 鴈音毛 動而寒 烏玉乃 宵文深去来 左夜深跡 阿下乃吹者 立待尓 吾衣袖尓 置霜文 氷丹左叡渡 落雪母 凍渡奴 今更 君来目八 左奈葛 後文将會常 大舟乃 思憑迹 現庭 君者不相 夢谷 相所見欲 天之足夜尓
[訓読]我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響(とよ)みて寒し ぬばたまの 夜も更(ふ)けにけり さ夜更くと 阿下(あらし)の吹けば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷(ひ)にさえわたり 降(ふ)る雪も 凍(こほ)りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足(た)り夜(よ)に【引用】「集歌3281」
[原文]<妾>背兒者 雖待来不益 天原 振左氣見者 黒玉之 夜毛深去来 左夜深而 荒風乃吹者 立<待留> 吾袖尓 零雪者 凍渡奴 今更 公来座哉 左奈葛 後毛相得 名草武類 心乎持而 <二>袖持 床打拂 卯管庭 君尓波不相 夢谷 相跡所見社 天之足夜<乎>
[訓読]我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて 荒風(あらし)の吹けば 立ち待てる 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖もち 床うち掃ひ うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜を【引用】「第13巻 3280番歌」作者不詳
[原文]黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾
[訓読]ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しも荒足(あらし)かも疾き【引用】「第7巻 1101番歌」柿本人麻呂
[原文]大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手
[訓読]大海に荒(あらし)な吹きそしなが鳥猪名の港に舟泊つるまで【引用】「第7巻 1189番歌」作者不詳
[原文]衣袖丹 山下吹而 寒夜乎 君不来者 獨鴨寐
[訓読]衣手に山下(あらし)の吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む【引用】「第13巻 3282番歌」作者不詳
[原文]霞立 春日之里 梅花 山下風尓 落許須莫湯目
[訓読]霞(かすみ)立つ、春日(かすが)の里の、梅の花、山の下風(あらし)に、散りこすなゆめ【引用】「第8巻 1437番歌」大伴村上
「下風(あらし)」と読む歌は他にも「第10巻 2350番歌」「第11巻 2677番歌」「第11巻 2679番歌」などがあります。
山下(やまおろし)(885年)
万葉集に「やまおろし」という読みを見つけました。
[原文]嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾<超>来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 <峯>上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈
[訓読]島山を い行き廻れる 川沿ひの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山下(山おろし)の 風な吹きそと うち越えて 名に負へる杜に 風祭せな【引用】「第9巻 1751番歌」高橋虫麻呂
まとめ
「地震雷火事台風」説は森田正光氏の書物・発言が発端です。
民俗学の文献には親父「おおやまじ」語源説の記述がある・・・と慶應高校の先生が語っているそうですが文献が見つかっていません。
更に、台風を「おおやまじ」と記載した文献も見つかっていません。
デマ拡散ツイートと同じなので、文献なき見聞調査であったなら、森田氏は謝罪した方が良いでしょう。
それだけ影響のある人は発言には気をつけた方が良いです。
ただし完全否定する事は「悪魔の証明」に近いため困難です。
調査結果は他にも多くあるので、次回に続きます。