新型コロナウイルスの影響でマスクが手に入らず、更にはデマツイートによって
- トイレットペーパー
- ティッシュペーパー
- 消毒液
- ウェットティッシュ
- 缶詰
- カップ麺
- 生理用品
までも買えなくなりました。
開店30分前で30人待ちは当たり前
そして、開店そうそう「一人2個まで」を完全に無視して、大量の買い占め・・・・。
客や店員がクレームしてもお構いなく・・・・8:30からサングラスかけた故意犯のおばさんを写メしておきました。
このような方々も存在し、開店5分で棚には何もない状態。
まさに1973年のオイルショック!!!
皆が買うから無くなる、仕方なく買っておくと言う悪循環になっています・・・・。
この記事の「ねほり度」 ★★★★★(独自調査が含まれ、専門家に提示できるレベル)
さて、前回の続きの話です。
【前回】地震、雷、火事、親父・・オヤジ=台風は俗説か?(1/2)
前回の調査で、台風を「大山嵐(おおやまじ)」「大風(おおやじ)」「山嵐(やまじ)」と呼んだ時期はありませんでした。
※ この諺は現代では恐ろしいものの順にあげているとの解釈も多いですが、明治時代の辞典類では順番に記載したとの記述はありません。
そもそも「やまじ」とは何か?
では次に「大山嵐(おおやまじ)」「大風(おおやじ)」「山嵐(やまじ)」とは一体何なのか?を確認してみます。
現時点では、森田正光氏の下記の二文以上の情報はありません。
四国で漁師だった方から電話があり、天気予報がなかった大昔は、雲行きや風で出漁を判断していた。
南風は真風(まじ)それが強くなるとヤマジ、さらに強くなると大ヤマジ、台風が来ると沖の船におやじだと叫んで警戒を呼び掛けたそうです。【引用】お天気キャスター「森田正光」
ちなみに「まじ=南風」という言葉は愛媛県に存在しているようです。
【引用】やまじ風公園 NHK 放送用語委員会専門委員 宮澤清治
山嵐(やまじ)
Wikipediaに次のように掲載されています。
「やまじかぜ 【やまじ風】」
やまじ(山風)とは、愛媛県東部の四国中央市一帯や新居浜市、西条市でみられる南よりの強風のこと。春や秋に多い。日本三大局地風の一つ。
【引用】やまじ風
次の記載からも「やまじ」という言葉は愛媛県では一般的です。
地元では、元々、南よりの強風を「やまじ」と呼んでいたが、気象台の調査報告書などで「やまじ風」と呼称されたことから、この呼び方が一般的になった。
岡山県の「広戸風」、秋田県の「清川だし」とともに日本の3大局地風(悪風)に数えられる。
(省略)
山頂から強風が吹き下りてくる現象をおろし風といい、やまじ風はこの地方での呼び名である。【引用】森征洋(香川大学名誉教授)「やまじ風(かぜ)」
また、日本国語大辞典には、方言として「山風(やまじ)」が持つ意味が複数列挙されています。
島根の方言「山の方から吹く風」
香川の方言「南よりの暴風」
香川三豊の方言「つむじ風」
安芸の方言「海岸一帯に高潮の押し寄せる風」【引用】日本国語大辞典
それよりも注目すべきは冒頭の記述です。
古今秘註抄(南北朝頃)10「やまし〈略〉異説にはやましとて風の名なり。たつみのすみの巳の方よりふくかぜと申せども」
【引用】日本国語大辞典
要するに「やまし」と言う言葉は南北朝頃(1392年)から存在しています。
これで、俗説だと決めつける事は難しくなりました。
ただし「山嵐」に「台風」という意味は歴史上ありません。
大山嵐(おおやまじ)
最大瞬間風速10m以上のものを「強いやまじ風」と呼ぶとの記載はあります。
ですが「おおやまじ」という言葉が地方・過去含めて記載されている文献は見つかりませんでした(誰か情報をください)。
大風(おおやじ)
「おおやじ」という言葉が地方・過去含めて記載されている文献は見つかりませんでした(誰か情報をください)。
そして「大風」は1800年代は「たいふう」、1200年代には「おおかぜ」と呼んでました。
なので「大風」を「おおやじ」と呼んでいるなら方言でしょう。
「地震雷火事親爺」が使われたのはいつから?
そもそも、この「ことわざ」はいつから存在が確認されているのでしょうか?
それが分かれば、語源も分かるかもしれません。
沢村貞子「私の浅草」(1977年)
とよちゃんは、気味悪そうに黒い燃えがらを手のひらにのせて、「何にきくんですか、こんなもの…」
「なにって…災害が来ないのさ」「どんな災害ですか」「そりゃあ、まあ…地震、かみなり、火事、おやじ…とか、さ」【引用】沢村貞子「私の浅草」(1977年)
中谷宇吉郎「雪」(1938年)
物理学者であり随筆家の著書に次のような記載があります。
「恐いもの地震、雷、火事、親爺(おやじ)」とは昔から余りにも知れわたっている諺(ことわざ)であるが、この恐いものの正体を掴もうとする精神に欠けているのが日本人の一つの特異色であろう。
【引用】青空文庫(中谷宇吉郎「雪」)
太宰治「思ひ出」(1933年)
太宰治は「思ひ出」という短編小説の中で次のように記述しており、慣用句として定着していることが伺えます。
「もし戰爭が起つたなら。」といふ題を與へられて、地震雷火事親爺、それ以上に怖い戰爭が起つたなら先づ山の中へでも逃げ込まう、逃げるついでに先生をも誘はう、先生も人間、僕も人間、いくさの怖いのは同じであらう、と書いた。
【引用】青空文庫(太宰治「思ひ出」)
【参考】地震雷火事親父の語源は地震雷火事大山風(おおやまじ)か?
夏目漱石「人生」(1896年)
夏目漱石は「人生」という随筆の冒頭で
空(くう)を劃(くわく)して居る之(これ)を物といひ、時に沿うて起る之を事といふ、事物を離れて心なく、心を離れて事物なし、故に事物の変遷推移を名づけて人生といふ、猶(なほ)麕身(きんしん)牛尾(ぎうび)馬蹄(ばてい)のものを捉へて麟(きりん)といふが如し、かく定義を下せば、頗(すこぶ)る六つかしけれど、是を平仮名(ひらがな)にて翻訳すれば、先づ地震、雷、火事、爺(おやぢ)の怖きを悟り、砂糖と塩の区別を知り、恋の重荷義理の柵(しがらみ)抔(など)いふ意味を合点(がてん)し、………………
【引用】青空文庫(夏目漱石「人生」)
と述べています
【参考】地震雷火事親父の語源は地震雷火事大山風(おおやまじ)か?
仇討小説「柳荒美談後編」(1855年)
江戸時代後期の作と言われる仇討小説「柳荒美談後編」に次のような記載があるそうです。
地震雷火事風親父
地震もこはい。強き時は家作はいふに及ばず、山もくづれて大地もさける。一番恐ろしいものなりといへば、又一人進みいでていはく、親父も怖い、毎度眼のいづるほど叱られる。世にいふ通りに地震雷火事風親父、是らが怖いものなり
【引用】仇討小説「柳荒美談後編」(巻19)
【引用】時田昌瑞「岩波ことわざ辞典」
このお話は、柳生流の達人の荒木又右衛門(あらき またえもん)が寛永11(1634)年11月7日伊賀上野の鍵屋ノ辻で、義弟を助けて河合又五郎を討った伊賀越仇討です。
「柳荒美談」はデジタルライブラリでも閲覧可能ですが全5巻ですし・・・該当箇所を見つけることに苦戦しています(誰か教えて下さい)。
※【追記 2020.03.06】 ことわざ研究家・北村孝一氏より、デジタルライブラリー「仇討小説集. 続」の366頁(サイト上ではp.181)に掲載されているとの情報を頂きました。
安政大地震鯰繪(なまずえ)
鯰絵とは、幕末期の江戸において、安政大地震(1855年)を契機に生み出された、一連の強烈な風刺画です。
記録によると「地震発生の当日」から発売され、一週間のうちに三百数拾種にまで膨れ上がり「10日後には400種類」に達した、とあります。
鯰絵・開扉落涙山非常明王(1855年)
不動明王をちゃかした絵柄です。
柳の木の前にある立札には「開帳」と書かれており、寺社が所有する秘仏、宝物などを、一般に公開することで、江戸ではこれが頻繁に行われました。
この鯰絵には、経机を前に御守を売る和尚が座り、(略)
さいなん(災難)、けんのん(危ういこと)、らいよけ(雷除け)、火なんよけ(火難除け)、こごとよけ(親父の小言除け)の御守はこれより出ます
と叫んで、一生懸命に御守を売っている。
(略)
本尊こ姿は「地震雷火事親父」を具足している。体は金持ち親父である。よって金を施行しなければならず、それを惜しみ落涙している。しかも、親父は、こうした難儀な状況へ追い込まれた腹いせに、地震の象徴である鯰を踏みつけた上に、背後には雷太鼓や火炎(火事)を背負っている。
いうまでもなく、世の中の人々か最も恐れる四つの霊物(地震・雷・火事・親父)を合体させて不動明王化したのである。【引用】江戸っ子気質と鯰絵「第三節 御開帳と鯰絵」 p.163
鯰絵・出現苦動明王(1855年)
この不動明王の身体もまた、地震・雷・火事・親父の四要素からできています。
鯰絵・地震けん(1855年)
雷神と風神は対になることから、風が加わっても不思議ではないが、安政の大地震(1855年)の後、庶民の間で流行した版画「地震けん」に描かれたのは擬人化した地震(鯰)、雷、火事、そして親父である。
【引用】鯰絵・地震けん(地震雷火事親父)
【引用】地震けん(地震火災版画張交帖:石本コレクション)
鯰絵・地震雷過事親父(1855年)
【引用】〔其ノ四〕「地震、雷、火事、親父」の話
【引用】地震雷過事親父(地震火災版画張交帖:石本コレクション)
「地震、雷、火事、親父」という諺は、わが国に古くから言いつたえられた、恐いものゝ代表とされている。この鯰繪で“過事(くわじ)”とあるのは、江戸一流の当て文字で“火事”のことである。
この鯰繪は、「地震、雷、火事」は、恐いものゝ代表で、親父(この鯰繪のお客様)さんは別だとした、擬人法で表現した典型的な江戸時代の地震鯰繪である。
【引用】地震、雷、火事、親父(鯰と地震)
鯰絵・四民不動礎 吉例暫(1855年)
【引用】〔其ノ五〕吉例「暫(しばらく)」の話
【引用】四民不動礎 吉例暫(地震火災版画張交帖:石本コレクション)
おどけはなし(1855年)
地震「若イもの二三人あつまり「なんトこれから浅草の方を見ぶつしてきようと出かけ観世音のけいたいにいたり「ヲウこの雷りさまを見ねへどこかへかゐなくなつてしまつたゼ「ナニてめへむりなことをいへ雷さまを見ろといふ口のしたからゐなくなつたとハ「ホイこれはしたりアレあの五十の塔を見ねへ先ノハうが大そう曲つた「イヤすこしだ「ナゼ「九輪だものを」(後略)
【引用】東京都立図書館 「おどけはなし」「地震」「雷」「火事」「親父」
花暦八笑人(1849年)
「江戸語大辞典」に次のような記載があります。
【引用】江戸語大辞典(新装版)、前田 勇
地神(ヂシン)雷(カミナ)り、トいひながら酒のさかなのしほやきを見て、鯵(あじ)、親父か
【引用】嘉永2年(1849年)・八笑人(はっしょうじん) 五上
こちらは
地神(ヂシン)雷(カミナ)り、鯵(あじ)、親父
となっています。
「八笑人」は江戸の笑劇なので、「火事」の部分を「鯵」に言い換え笑い話にしています。
※【追記 2020.03.06】
こちらもデジタルライブラリーの花暦八笑人(第五編巻之上)(p.104)で閲覧可能です。
卒八「地神(ちじん)雷(かみなり)(ト云ひながら酒の肴(さかな)の塩焼(しほやき)を見て、味(あじ)、親父(おやぢ)か
野呂「是から八笑人を七合神」と質素倹約(しっそけんやく)よ極(きめ)やうじやァねへが
眼七「恐入谷(おそれいりや)の七合神だ
ただ、この原作では「地神(ちじん)雷(かみなり)味(あじ)親父(おやぢ)」となっています。
尾張童遊集(1831年)
ことわざ研究者・北村孝一氏の辞典に「地震雷火事親父」という項目があり、次のような記載があります。
この表現が収録されている最も古い文献は「尾張童遊集」(1831)なので、江戸後期に名古屋近辺の子どもたちが声をそろえて口ずさんでいたことになり、口調がよいのも納得できます。
なお「親父」は、名主などをさしたとする説もあります。親方や親分に頭が上がらない時代だったので一理ある説のようですが、子どもたちはやはりわが家の「親父」を思い浮かべ、ユーモアを感じていたのではないでしょうか?【引用】小学館 ことわざを知る辞典(北村孝一)P152「地震雷火事親父」
さらっと大事なことが2つも掲載されています。
- この表現が収録されている最も古い文献は「尾張童遊集」(1831年)
- 「親父」は、名主などをさしたとする説もある
こちらが正しければ、
地震雷火事名主(なぬし)
と言っていた地域もあるようです。
※名主の呼称は主として関東で行われ、関西では庄屋と称しました。
京都地震の瓦版(1830年)
「尾張童遊集」より古い文献を見つけました。
「友田好文著「コーヒーブレイクに地球科学を」(海猫屋)」という書籍に、当時の瓦版が紹介されており、その中に、『とかく世の中にこわいものは地震・雷・火事と親父と申す事御わすれなく』という一文があるそうです(参考)
京都地震(きょうとじしん)は、1830年8月19日に発生した大地震です。
※【追記 2020.07.06】図書館間相互貸借を使って国会図書館から受け取りました。第二章「地震発生の原因説・むかしむかし」(p.34)に次のような一文があります。
・・・とかく世の中にこわいものは地震・雷・火事と親父と申す事御わすれなく、御用心、火の元に気をつけ川原か広き野に畳を敷ならべ、家内召連、はやばや御立のき成られて候て、神仏を御信心に成られ候が第一なりとむかしの伏見の大地震をふるい人の御意見なり候
この書物の参照文献は、稲垣史生監修「江戸の大変(天の巻)」平凡社 1995年と書かれています。
文献を確認すると「真夏の京 大地震で壊滅!(p.23)」という題目で次のような図板が掲載されています。
図版提供者は「山名隆三」氏となっています。
太平新曲(1819年)
更に「尾張童遊集」より古い文献を見つけました。
文政2年(1819年)編刊の狂詩集「太平新曲(タイヘイシンキョク)巻之三(p.30)」に次のような一文があります。
貴様今年実二怖(コワ)イ事、地震神ミ鳴リ火事爺(ヲヤチ)
【引用】太平新曲 巻之三(廿三):安穴先生、堺屋伊兵衛
こちらは京都での出版です。
これで、1800年代には京都、名古屋、江戸と全国で「地震、雷、火事、親父」が広まっていたことが分かりました。
1800年より古い文献は?
今のところ、これ以上古い文献は見つかっていません。
ただし「地震、雷」に関しては次の文献に載っていました。
されば大名公家がたには、地震神鳴(ヂシンカミナリ)の間(マ)とて番匠にたくませ、赤銅瓦の三階作り
【引用】浮世草子・西鶴織留(1694年)六・一
十世紀頃から、雷鳴のとき天皇が隠れるための建物が宮中にありました(「和名妙」の「襲芳舎(しゅうほうしゃ)」の項より)
※【追記 2020.03.02】 ことわざ研究家・北村孝一氏より、「地震雷~」の用例は18世紀までさかのぼれそう(確認中)との連絡を頂きました。
「地震、雷、火事、親父」でなかった説
前述したものもありますが、森田正光氏以外にも異なる説を唱えている人もいます。
調査中ですが、まとめておきます。
仇討小説「地震、雷、火事、風、親父」説
前述通り仇討小説「柳荒美談後編」(1855年)に記載があります。
「地震、雷、火事、名主」説
前述通り「小学館 ことわざを知る辞典(北村孝一)P152「地震雷火事親父」に記載があります。
ただし出典はありませんので筆者である北村孝一氏に確認中です。
※【追記 2020.03.02】 ことわざ研究家・北村孝一氏より、瀧川政次郎『非理法権天』(青蛙房, 1964)との連絡を頂きました。
書籍を見てみると「法諺の研究」のようです。p.220に「⑩ 地震、雷、火事、おやじ」という項目があり抜粋すると次のように記載されています。
「おやじ」は親者人(おやじやびと)の略であって、自分の親を称する言葉である。
道楽息子にとっては、父親は地震や雷のようにこわいものかも知れないが、一般の息子にとって、父親はそんなにこわいものではない。
故に「親仁」は、他人である。然らばこの親仁は誰を指したものであろうか。ある江戸時代の随筆に、親仁というのは将軍のことだと書いてあった。
旗本御家人等が将軍のことを親仁といったかも知れぬが、庶民が口にするこの諺の「おやじ」が、暗に徳川将軍を指したものであるとは考えられない。
(中略)
私は、この「おやじ」は町村の名主、庄屋を指したものであると考えている。徳川時代の百姓町人にとって、名主、庄屋はおっかないものであった相違ないが、いざ事が起こったというようなときには、厄介にならねばならないものであったから、百姓町人はその住する町村の名主、庄屋を指ししたものである考えている。
徳川時代の百姓町人にとって、名主、庄屋はおっかないものであったに相違ないが、いざ事がおこったというようなときには、厄介にならねばならないものであったから、百姓町人はその住する町村の名主、庄屋に対しては、「おやじ」と呼ぶだけの親近感をもっていたと思う。
「おやじ=名主・庄屋説」は瀧川政次郎氏の「推測」のようです。
ただし「おやじ=将軍」説が「ある江戸時代の随筆」に書かれているようです。ただし、なぜか参照元の記載がありません・・・・。
狂歌「地震、雷、火事、大山嵐」説
インターネット上では、江戸時代に作られた狂歌だと書かれており、次のような川柳が掲載されています(この方のサイトが発端だと思います)。
世の中に 怖いものが 四つあり 地震雷火事大山嵐(おおやまじ)
【引用】てんてん(地震、雷・・・の話 2001/12/09)
この説は森田氏と同じです。
ですが、調査しましたが江戸時代の文献に上記の狂歌は見つかりませんでした(誰か情報をください)。
幾つかの記載がありますが今までの調査結果より真実味に欠けます。
・ランクとしては4番目というのが妥当→順番に意味なし
・やまじ風は古語では台風をあらわすこともあった→ない
出典がないので、上記サイト管理人に問い合わせ中です。
※ 狂歌(きょうか)とは社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)のことです。
「地震、雷、火事、目明し」の陰語説
しかし、よく言う″地震雷火事親父″のおやじにはひっかかる。いくら頑固な父親でも、命にかかわる程の恐い存在ではないから、これは言葉のあやで、父親の厳しさを茶化したもののように一般には考えられているようだが実はここでいうおやじは目明かしの陰語だったのである。
【引用】恐いもの(更新日 平成30年2月28日)
「目明かし(めあかし)」も「火事(かじ)」と音韻が似ています。
ただし「江戸隠語辞典」等を確認しましたが、「目明し=親父」の事実を確認できませんでした。
こちらは「海老名市役所」のサイトに掲載されていたので、出典を問い合わせ中です。
※【追記 2020.03.03】 海老名市教育委員会教育部教育総務課文化財係より、「海老名むかしばなし」第8集にに記載されているとの情報を頂きました(郷土史家・小島直司著)。
まとめ
他の語源が俗説か断定するのは、文献の少ない時代ということもあり、結論づけることは難しいでしょう。
そもそも「山風(やまじ)」の言葉が地方に存在する以上、「地震、雷、火事、やまじ」という言葉が、存在していても不思議ではありません。
ただし、今回の調査でいろいろと発見がありました。
- 「地震雷火事○○」の語源は各種存在する
- 独自調査で、最古の文献として1819年まで遡る事ができた
先祖調査、古文書調査の経験上、これ以上遡るのは容易ではありません。
また「結論は結局どっち?」とツイートで話題にして頂くこともありますが、口語伝承の結論づけは容易ではありません。
他の情報をお持ちの方は教えて下さい。
なお各種問い合わせの結果は、このページに追記致します。
※【追記 2020.09.13】 絵で楽しむ江戸のことわざ(時田 昌瑞:著)には、次のように書かれています。
「親父」を「台風」だとする説もあることはあるが、市民権を得るには至っていない。
怖いものの順番だといった踏み込んだ解釈の事例は見当たらないので、現代の解釈は明治時代以降、それも戦後あたりから言われだしたものであるかもしれない。