過去の日記では魚の分類や名前を調べて公開している。
しかし、詳細な図鑑や辞典が無かった時代に、どのように分類していたのか?
今回は「ヒラメ」と「カレイ」を調べてみる。
色々と調べた割には、辞書で知れる一般知識を超えることはできなかった。
学問上の分類
そもそも、どちらもカレイ目の魚ではある。
しかし、
- カレイはカレイ亜目カレイ科
- ヒラメはカレイ亜目ヒラメ科
と科が異なる。
図示化してみた。カレイも属で幾つかに分類される。
これを、分かりやすく動物に例えてみよう。
「カレイ亜目」までは「ヒラメ」「カレイ」も同じなので、
恣意的に書くなら
「クマ(ネコ目イヌ亜目クマ科)」
と
「アシカ(ネコ目イヌ亜目アシカ科)」
ほどの違いがある。
これも図示化してみた。
お分かり頂けただろうか・・・・?
アシカショーを見に行って、
マレーグマ(クマ科クマ亜科マレーグマ属)が
にっしんぼー
してたら、客はキレるよ!!
まあ「属」が違うと「タヌキ」「キツネ」レベルで違うけどね・・・。
学問上定義がない時代の「カレイ」と「ヒラメ」の分類
左ヒラメに右カレイ
[引用] あすとろ出版 (著:現代言語研究会)「故事ことわざの辞典」
と言うことわざがあるが、そんなに単純には分類できない。
なお、ことわざの語源は深堀りしないが、少なくとも、尾張藩士の天野信景(1733 年没)が、「塩尻」の中で、
背面から見て両目が右側にあるものをカレイ、左側にあるものをヒラメ
と記している。
ただし、それが尾張地方で普遍的な呼称だったかどうかは定かでない。
いつの時代から分類されてるか?
「カレイ」と「ヒラメ」という言葉がいつ頃から存在したか調べてみる。
「カレイ」の語源?
「カレイ」の名は古くから存在する。
平安中期の「本草和名(ほんぞうわみょう)」に「加良衣比(からえひ)」とあるのが「カレイ」の古名だ。
[引用] 暮らしのことば「新 語源辞典」 山口佳紀編
とあるので、ここから調べてみる。
「本草和名」は、918年頃に成立したとされる深根輔仁撰による日本現存最古の薬物辞典だ。
いつもお世話になっている「国立国会図書館デジタルコレクション」で閲覧可能。
「王余魚」「加良衣比」「加礼比」で「かれい」と読む。
他にも、934年頃に作られた「十巻本和名抄(八)」もしくは「二十巻本和名類聚抄(巻19)・鱗介部第30・竜魚類第236・3丁裏9行目」に、次のような記載がある。
これは、平安時代中期(承平年間(931年 – 938年))に勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞書だ。本草和名と内容は近い。
王余魚 朱厓記云南海有王余魚[和名加良衣比俗云加礼比]昔越王作鱠不尽余半棄水因以半身為魚故曰王余魚也
「曾我物語(南北朝頃)五」などには、次のように「カレイ」という記述があるそうだが詳細は割愛する。
燕は戊己に巣をくひはじめ、かれいは湊に向ひ方違す
「ヒラメ」の語源
語源は調べてみたが諸説あり、結論付けるのは難しい。
- 平たく薄い魚だから(平魚と書き,特殊な眼鏡の付き方によって平目魚から)「ヒラメ」(になった)という説
- 目が並んでいるところから「比目魚」と書いて「ヒラメ」と呼んだという説
- 平見え「ヒラミエ → ヒラメ」になった説
- カタヒラ(半平)に目(メ)があるからという説
- ヒラ(左片)に両目(メ)があるからという説
- 平べったい魚から、ヒラメとしたという説
- 平たい体に目が二つ並んでいることから「平目」とする説
- [引用] 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編「古語辞典 補訂版」(岩波書店)
- [引用] 大槻文彦「大言海」(冨山房)
- [引用] 前田富祺編「日本語源大辞典」 (小学館)
- [引用] 増井金典「日本語源広辞典」(ミネルヴァ書房)
- [引用] 田井信之「日本語の語源」(角川書店)
- [引用] 清水桂一「たべもの語源辞典」(東京堂出版)
- [引用] 藤堂明保他編「漢字源」(学習研究社)
※ 辞書「倭爾雅(わじか)」(1694年)では「比目魚(ひもくぎょ)」を「カレイ」と読ませており、「カレイ」と「ヒラメ」は区別されていない。
今からおよそ2500年ほど前の物語。春秋時代の中国に越という国がありました。王は勾践といい、隣国の呉の国と争い、勝ったり負けたりの繰り返しが続いていました。越王の勾践は、魚料理が大好きで、しばしば鱠(なます)を作っては賞味していました。
鱠には贅沢にも魚全部を使わず、いつも余った半分(片身)を水中に捨てていました。
ところが、水に捨てた片身の片眼同士のオスとメスが一体となり、片側に2つの眼を持つ魚に変身して元気よく泳いで海に帰っていったということです。
以来この魚のことを王が余って捨てた魚「王餘魚」と呼ぶようになったというそうです。
中国では現在でもヒラメのことを「比目魚(ピムウユィ)」といって仲むつまじいオスとメスとが目のない方をぴったり寄せ合い二身同体となって泳ぐという仲の良い夫婦に例える話があります。[引用] 佐藤魚水/ヒラメは、なぜ立って泳がないか(1995)
前述の「カレイ」を意味する「王餘魚」は、中国の古書に記されていることがわかった。
同様に「比目魚」は「眼がふたつ並んでいる魚」の意味を表し、正にヒラメのことを指している。
次に「ヒラメ」という言葉がいつ頃から登場したか調べてみる。
ヒラメという名が現れたのは14世紀ごろだが、日本では19世紀以前にはカレイとヒラメは区別されておらず、大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと呼んでいた。はっきりと別種として扱った文献は小野蘭山の「本草綱目啓蒙」(1803年)が初出である。
[引用] たべもの史話 (小学館ライブラリー)
- ヒラメの名は、中世末期頃から見られる。
- ヒラメの名前の歴史上は、室町時代から登場している。
と書かれる書籍やブログは見つかった。
が、肝心の書籍名が分からない。
唯一見つけたもの。
静岡県沼津市戸田は昔は「平目ケ平(ひらめがだいら・ひらめだいら)」と呼ばれていた。
理由は、明和7年(1498年)に発生した「明応地震」の大津波。
何百年か何千年か前の大昔に地震があり、大津波が起こり、ここに大量のヒラメがあがった(中略)ことから、平目ケ平と言うようになった。
[引用] 弥吉じいさん 戸田村のむかしばなし 梅原弥吉
だから、既に15世紀には「ヒラメ」と呼ばれていた!・・・だと証拠に乏しい。
調査は継続する。
「カレイ」と「ヒラメ」の味の違いの認識はされていたのか?
江戸初期編
「ヒラメ」と「カレイ」の呼称は、地域によって真逆の場合もある。
俳諧師・越谷吾山が江戸時代の方言辞典として刊行した「物類称呼」(1775年)によると、次のようになっている。
かれい、ひらめ。畿内西国ともに・かれいと称す。江戸にては大なる物を・ひらめ、小なるものを・かれいと呼。然とも類同じくして{しゆ}異也。常陸上総下総の浦々にて大イなるを鰈{かれい}といひ小なるを平目{ひらめ}といふ。江府の魚市{ぎよし}に至る時は則チ名を変ず、又ある漁子{ぎよし}此魚両種相|偶{ぐう}して洋中{やうちう}を游{をよ}ぐ頭をならぶる時は左右の違ひ有物なりといへり。貝原翁はかれいといふはかたわれ魚の略なりといえり。
要するに
ヒラメは畿内、西国ともにカレイという。江戸では大なるをヒラメ、小なるをカレイとよぶが同じ魚である
また、後述する「本朝食鑑」(1697 年)では、「ヒラメ」と「カレイ」はとくに区別されていない。
比目魚(今日ではヒラメを意味する漢字)を「カレイ」とするなど、呼称は定まっていなかった。
多くの人の魚の知識なんて皆無に等しいだろう。
[引用] 「ワンピース」929話
町人の中で、どれ程度の人が区別することができたのだろうか・・・・。
カレイ(鰈)の味に対する認識
食材についてまとめた「本朝食鑑(p.377)」という書物がある。元禄10年(1697年)刊。
次のような8種類の事項別に整理されている
- (1)釋名 標題に掲げた正名とは別の異名を列挙し、且つその命名の由来を記す。
- (2)集解 産地、形状、性質、採取時期、修治、良否を書す。
- (3)正誤 その薬品に関する諸本草家の誤謬(ごびゅう)を正す。
- (4)修治 薬品の調整、使用部分の選び方を記す。
- (5)気味 薬味の酸醎甘苦辛の五味、寒熱温涼の四気及び有毒無毒を記す。
- (6)主治 薬品の効能を書す。
- (7)発明 薬品の効能、用方等につき、主として時珍の発明せることを記す。
- (8)附方 その薬品を用いる主な単方(たんほう)を記す。
文献を見ると少なくとも「ムシガレイ(蒸鰈)」「イシガレイ(石鰈)」「ホシガレイ(星鰈)」など、カレイ科も区別して認識されている事が分かる。
また、こちらでも「比目」を「カレイ」と呼び、大なる物を「ひらめ」、小なるものが「かれい」となっている。
この書物の特徴は味に関して書かれているところ。
石鰈、江都最も多し味も亦、殊に美なり
「イシガレイ」は江戸周辺に多く生息し、味もとりわけ美味しい。
と絶賛されていた。
ヒラメ(比目)の味に対する認識
前述の「本朝食鑑(p.378)」に次のように書かれている。
「ヒラメ」の説明は「カレイ」の項目内に掲載されている。ようするに「カレイ」の一種という認識。
で、味は次のように書かれている。
その形状は鰈に比べると黒い処の色は薄く、其の肉も瘠せ、味は美くない
ようするに、
江戸時代(1700年以前)に、ヒラメは鰈よりも不味い
とされていた。
他にも「ヒラメの味はカレイに劣るとされてた」という記載も見つけた。
[料理] ヒラメ・カレイ類のうちもっとも美味というべき魚で、すし種の白身魚として東京ではタイ以上に珍重することが多い。刺身、すし種のほか蒸物などがよく、煮つけやわん種にも適する。洋風ではフライ、グラタンなどにする。また、背びれやしりびれの付根にある肉は〈えんがわ〉と呼んで、とくに珍重する人が多い。日本では古くはカレイとの区別がされず、いまはヒラメと読ませる比目魚の字もカレイと読んでいた。ヒラメの呼称は室町時代から見られるが、江戸時代でも背の色のうすいものとか、大きいものがヒラメで、味もカレイに劣るとされていた。
[引用] 世界大百科事典第二版 ヒラメ(鮃)
この事典は、私が前述したことが全て書かれている。出典を書いてほしかった。
江戸中期編
江戸時代の料理書の中で、魚介類の格付けを記したものは数種あるが、最も詳細な記載のあるのが「黒白精味集(こくびゃくせいみしゅう)」。
「黒白精味集」(延享三年・1746)下巻 (十)一色料理上 63オ~88ウ には、次のような魚介類の格付けが掲載されている。
<上魚>
鯛(タイ)・鱸(スズキ)・鯉(コイ)・鮱白(ハタ)・鮒(フナ)・鮭(サケ)・鱒(マス)・鮟鱇(アンコウ)・石鰈(イシガレイ)・アマダイ・キス・細魚(サヨリ)・鮎(アユ)・白魚(シラウオ)・生鱈(生タラ)・キス・サワラ。
<中魚>
蛸(タコ)・烏賊(イカ)・海鼠(ナマコ)・鰡(ボラ)・鯒(マゴチ)・赤魚(アコウダイ)・平目(ヒラメ)・鰹(カツオ)・目近(メジナ)・アカエイ・茂魚(キジハタ)・ホウボウ・鰺(アジ)・石首魚(イシモチ)・鰻(ウナギ)・スバシリ(ボラ)・アイナメ。
<下魚>
生鰤(生ブリ)・ムツ・黒鯛(クロダイ)・ドジョウ・オコゼ・鯊(ハゼ)・嶋鰺(シマアジ)・生鯖(生サバ)・ウグイ・ハエ・生鯨(生クジラ)・鮫(サメ)・マグロ・生鰯(生イワシ)・ひしこ(カタクチイワシ)・河豚(フグ)・コノシロなど。
前述のとおり、イシガレイは上魚扱いだが、ヒラメは中魚となっている。
因みに、この格付けは何に使ったか?
次の記述から理解できる。
客の身分により相応の格の魚を用いよ
江戸時代は格付け大好き。納得した。
カレイ(鰈)の料理法
「黒白精味集」(延享三年・1746)下巻 (十)一色料理上には、素材の料理方法も記載がある。
[引用] 黒白精味集 十
主向詰(むこうづめ・焼物) 略せし向詰にて用 鯛に并(ならぶ)炙物成 四季に有り 虎腑鰈 めいた鰈茂鰈水と云 蒸鰈生干にして後段炙物上成
「焼き物」が鯛と同等の価値と書かれている。
また、干物も「焼き物」が絶賛されている。因みに旬は「4月~7月」頃。
ヒラメ(鮃)の料理法
[引用] 黒白精味集 十
主膾(なます) 差身(さしみ) 摺身(すりみ)中の上 四季に有専春
ヒラメは「刺身」として使われている。因みに旬は「10月~3月」頃。
幕末編
最上級ゲストに対する食事といえば、例えば歴史的事件
ペリー来航
ここでは最上級の食事を作ったに違いない。
実際、酒と鯛(たい)ひれ肉の吸い物に始まり、刺身や煮物など50種類の肴(松葉スルメ、長芋、サザエ、車海老、白魚…)、本膳で、一の膳、二の膳、三の膳、最後が海老糖の菓子と計100種類を越える料理が出されたとされる。
料亭「百川」の百川茂左衛門は、500人分(アメリカ側の300、接待する日本人分200)の饗応料理を準備した。価格は一人頭3両の費用がかかった。今の金額にして約30万円。500人分で1億5000万円の大饗応だった。
その饗応料理の内容が、「二月十日横浜応接場米人饗応献立書」という史料に残っている。
[引用] 「武州横浜於応接所饗応之図(嘉永7年 木版画(横浜市中央図書館))
「亜墨理駕(アメリカ) 船渡来日記(石川本)」「亜米利加船渡来日誌(添田本)」の記載内容が多少異なるが、猪口などの記載が詳しい添田本をベースにまとめた。
【献 立】
「旧幕府、開国の曙」
嘉永七年二月十日亜米利加人へ御饗応
一長のし 敷紙三方 一盃 内曇土器三ツ組
一銚子 一吸物 鯛ひれ肉
一干肴 松葉するめ結び昆布 一中皿肴 はまぢ、魚月、青山椒
一猪口 唐糸かれい、口蛎目わさび線
一吸物 鯛ひしほ
一中皿 ハマチ、カレイ、青ノ山椒
御献立
一御吸物 花子巻鯛、篠大こん、粉山椒
一御硯葢 紅袍輪蒲鉾、伊達巻すし、花形長芋、九年母、鶴羽盛、錦昆布、川崎せん
一御猪口 土佐醤油、いりさけ、辛子味噌
一御吸物 ささゐ、鞍掛け平貝、ヒラメ、富貴のとう線
一御丼(ぶた煮) 車海老、押銀杏、粒松露、目打白魚、しのうど
一御鉢肴 鯛筏、友身二色蒸、風干ほうほう、自然生土佐煮、花菜、土気からし積、酢取せうが
一大平 内寄串子、六ツ魚小三木、生椎茸、細川人参、火取根芋、露わさび
一御茶碗 鴨大身、竹の子、茗荷たけ線
一御差身 平目生作り身、鯛小引まき、めじ大作り、若紫蘇、花山葵、生のり
二汁五菜
御本膳
一御鱠(ねり酢) 鮑笹作り、糸赤貝、白髪大こん、塩しいたけ、栗生が、葉付金かん
一御汁 米摘入、布袋しめし、千鳥牛蒡、二葉菜、花うと芽
一御煮物 六ツ花子、芸子豆腐、花菜
一御香物 奈良漬瓜、味噌漬蕪、しのまき菜、花しほ、房山せう
御飯二の膳
一御葢(敷みそ) 小金洗鯛、より海老、しらが長芋、重椎茸、揃ミツ葉
一御汁 生鯛背切、初しも昆布
一御猪口(ホートル煮) 七子いり、鴨麩、しの牛蒡
一御台引 大蒲鉾
一御焼物 かけ塩鯛
一御吸物 吉野魚、玉の露
一御盃 一御銚子
一御中皿肴 平目作り身、花生が 一御飯鉢
一御通 一御水
一御湯
ヒラメもカレイも、おもてなしの食材として使われている事がわかる。
「刺身」は日本料理ではメインディッシュに相当するので「ヒラメ」の方が「カレイ」より価値が高い位置づけだ。
因みに、アメリカ人が日本の「オ・モ・テ・ナ・シ」に対してどう思ったかは次の漫画が全てを物語っている。
みなもと太郎の「風雲児たち幕末篇5」(リイド社、2004)
刺し身などは味が薄くて手をつけなかった。という記録もある。
赴任中に分かったが、アメリカ人の味覚なんて
四味(甘い、辛い、脂っこい、デカい)
もしくは
四味(甘い、酸っぱい、塩辛い、ピリッと辛い)
しか理解できない。
アメリカの名物料理なんて「ハンバーガー」か「ステーキ」ぐらいで、大味で油っこくて美味しくない。
アメリカ人に日本料理の奥深さが分かってたまるか。
「カレイ」が日本料理で嫌厭された理由・・は本当か?
「カレイ」を刺身として利用している江戸時代の記載は見つかっていない。
カレイの旬は夏なので、鮮度が落ちやすく臭みが出て、江戸時代に刺身として扱うには難しかったのかもしれない。
加えてネット上には興味深い記事があった。
なぜ、現在はヒラメのほうが高級魚なのか、その秘密は顔の向きにあります。
日本料理の基本ですが、料理を出すときに頭を左に向けるんです。
ヒラメは元々左を向いてますが、カレイは右に向いてます。
そこでカレイを出すときには”のし”を付けたり、裏返しにして目に赤いナンテンの実を添えて無礼をわびるそうですYahoo知恵袋 2009/08/15 14:40
日本料理で魚は頭を左に向けて出す。
右向きの種類が多いカレイは尾頭付きの料理に向かないことが理由の一つ。
これ・・・本当?
多くのサイトで同じこと書いてあるけど、ググっても日本料亭の実写真すら出てこないけど・・・・?
現在調査中(誰か知っていたら教えて下さい)。
一方で、板前用語に「海腹川背(うみはらかわせ)」というものがある。
「海の魚は腹に、川の魚は背に脂がのっている」という板前用語に因んだ言葉である」とゲームの説明書にも記載されている。
- 【焼き方】切り身の魚を焼く時に、海魚は腹側(身)から焼き、川魚は皮目から焼く
- 【盛り付け方】海魚は腹が手前、川魚は背が手前に来るように盛りつける
理由は諸説ある。
例えば、
- 川の魚は腹に小骨が多く食べる所がほとんどないという説
- 江戸は武士の町、大阪は商人の町であり、腹開き=切腹をイメージさせるという説
で、例外もあるようだ。
あゆは川魚ですが腹を手前に、カレイは海魚ですが、背を手前にして盛ります。
[参考] 平野雅章『日本の食文化体系 4 食物諺集』東京書房社
また、大分県速見郡日出町で獲れるマコガレイは「城下かれい(しろしたかれい)」と呼ばれ大変美味な食材として知られている。
城下かれいの美味しさは古くから知られ、江戸時代は一般の人々が口にすることができなかった殿様魚で、参勤交代の際には将軍家へ干物を献上し、4年に1度の閏年には端午の節句に間に合うように生きたカレイを江戸まで運んだといわる。
[引用] ひじまち観光情報公式サイト
当時の料理の記述は見つからないが、昭和39年創業のお日本料理店「的山荘」の料理で刺身は出されている。
ナンテンなんて添えられていないし、カレイの刺身は美味として出されている。
そして、「ホシガレイ」の旨さも、稀代の食通として知られるかの北王路魯山人(1883年-1959年)が次のように書き残している。
七、八月頃まで続く東京近郊もののピカ一、星鰈の洗い作りの前には、関西のそれなどとても及ぶものではない」
春夏秋冬 料理王国より
前述した通り、ひと口にかれいと言っても、日本近海で獲れる種類は数十種類にものぼる。
純粋に知られてない&漁獲量が少ないのが原因じゃない?
私のような釣り人は知ってるけどさ。
さばいてから一週間しても刺身で無駄なく利用できる身の締まりのよさもあいまって、とても高価で取引きされ、浜の卸値はヒラメの2~4倍!
とても我々のような庶民の口には入りません。
近年は水揚量も激減していることから名実ともに幻の魚と化しています【引用】 神奈川県水産総合研究所
まとめ
- ヒラメとカレイの区別は厳密ではなかった
- カレイの方が高級魚として扱われていた
- ヒラメは刺身、カレイは熱を通した料理が紹介されていた
科学的な補足。
ヒラメの脂分(脂肪)は2.0%程度で、カレイの約半分しかない。
このため、ヒラメを焼くと身がパサパサなる。
現在では、脂分(脂肪)が少ないヒラメを火を使って調理する場合には、バターなどを加え油分を補ったソテーやムニエルなどが主流。
また、脂分(脂肪)が少ないということは「身が淡白」であるということで、「生」つまり「刺身」で食べるのが良い。
理にかなっている。