7番まであるグリーングリーンの本当の真実

誰もが一度は聞いたことがある日本の国民的ソングとして定着している曲「グリーングリーン」。

1 ある日 パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きるよろこび そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には ことりがうたい
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる

作詞 片岡 輝
作曲 Barry Brian Mcguire

1967年にNHKの「歌のメリーゴーラウンド」や「みんなのうた」で放送された原曲とは異なる日本独自の作詞だ。

作詞を見ると、「親子で語り合った」となっている。

しかも、語り合った内容は、

 

 

生きるよろこび そして 悲しみ

 

 

意識高すぎ!高杉くん。

今どきの親父と息子の会話なんて、次のようなもんだろ。

 

 

子供「キノコ嫌い、食わん!」

母親「あなた! たまには叱りなさいよ(# ゚Д゚)」

親父「キノコ食べな。大きくなれないよ〜」

 

 

子供「それマリオやん…」

 

 

親父「てへ。コインコイン!」

 

 

 

 

 

 

親父の存在なんて、そんなもの。

とはいえ、この曲が発表されたのは、1967年。

まだ、昭和40年(1965年)頃には、日本の家庭において父親は絶対の存在だった時代だ。

父親と「語り合う」家庭があったのかもしれない。

 

 

さて、数十年前の光文書院「みんなのうた」に掲載されている歌詞は3番までだった。

NHK「みんなのうた」では、1・2・3・7番が歌われた。

 

 

しかし、グリーングリーンの歌詞は幻の4番から6番が存在する。

4 あの時パパと 約束したことを守った
こぶしをかため 胸をはり ラララ ぼくは立ってた
グリーン グリーン まぶたには 涙あふれ
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑もぬれる

5 その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と帰ってこないと ラララ ぼくにもわかった

グリーン グリーン 青空には 虹がかかり
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がはえる

6 やがて月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパの言ってたことばの ラララ ほんとの意味を
グリーン グリーン 青空には 太陽笑い
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑があざやか

元気な合唱とは裏腹に、歌詞を見ると

「ある日パパは出かけた遠い旅路へ」
「二度と帰ってこないと僕にも分かった」

と、親父の消失を想像させる部分がある。

他のサイトを見ると、

「戦争に出兵した」

と書かれたものが多い。

 

 

しかし、思い出してほしい。

この曲が発表されたのは1967年。

第二次世界大戦後であり、3年後には「戦争を知らない子供たち」がヒット(1970年)の時代。

「月日が過ぎても、パパの言ってたことばの ほんとの意味を」知ることは息子はできない。

 

 

では、

何を語り合ったのか?

そして、

ほんとの意味

とは何なのか?
 

 

 

手掛かりを探すため、当時の時代背景を調べてみた。

 

ついに見つけたグリーン・グリーンの本当の意味

この頃の「週刊誌」で話題となっていた「二度と帰ってこない」記事を確認してみよう。

 

 

特に最近、主婦の蒸発が加速度的にふえ始めている
その原因も、昔と違って、亭主が酒乱だとか、グウタラだとかいうのではなく、
そんなことならひょっとするとウチの女房だってと心配になるほど、単純で、ありふれた動機なのである
『現代』1970.8

いまや、妻から離婚を申し立てるなんてもう古い。
めんどうくさい離婚手続きなんてマッピラと、夫も家庭も捨て、即充実したセックスライフを求めての蒸発がふえているのだ
『週刊現代』1974.10.17

 
 

蒸発・・・。

 
 

そう、不倫だ。

 
 

よく考えてみれば、男同士が「語り合う」ことなんて

 
 

エロトーク

 
 

ぐらいしかない。

 

子供は「不倫」「性教育」を父親から学び、そして、月日が過ぎ、

 
 

親父の言っていた本当の意味を知ったのだ。

 
 

歌詞を見ながら、もう少し考察してみよう。

 
 

根拠1:パパは死んでいない

パパは出かけた 遠い旅路へ 二度と帰ってこないと ぼくにもわかった
青空には 虹がかかり 丘の上には ララ 緑がはえる

「虹がかかり緑がはえる」と謳われていて、二度と帰れぬと知っているのに、爽やかだ。

たとえ、悟りを開いても、このような心の境地にはなれない。

 
 

歌詞には「死んだ」とは書かれていないし、死んだと考えるのは早計だろう。

根拠2:グリーンの意味は未熟

タイトルになっている「Green(グリーン)」を辞書で調べると、次のような意味がある。

【形-3】〔人が〕未熟の、経験の浅い、世間知らずの
【形-5】生き生きした

 

少なくとも「死」や「戦争」を意味する単語ではない。

また「グリーン」「グリーン」と同じ単語が二回続けることに注目したい。

わざわざ2回続けているのだから、異なる2つの意味で使われていると考えるのが自然だ。

  • 前半:「未熟」(未熟の、経験の浅い)
  • 後半:「悟り」(生き生きとした)

 

 

何かを父親と語り、未熟な男児は悟りを開いたのだ。

 

 

そう、息子はエロスに目覚めたのだ。

本当の事実

実は、(株)教育芸術社の書籍で「片岡輝氏」へのインタビューが掲載されており、作詞の背景を知ることができる。

 

ちょっと長いが、抜粋して無駄な議論が再発しないように、そのまま載せておく。

 

『グリーングリーン』の場合は、全く私の作詞でして、訳詞ではないんです。

当時コラボケールの『パパと踊ろうよ』とかイヴェット・ジローの歌に興味をもっていまして、ジローの歌では男の子とお母さんが世の中の不思議について語り合う内容でした。

そのときふと、日本の歌の中には、親子の心を通わせるような、特にお父さんをテーマにした曲はあまりないなあと思ったんですよ。

それで、まずお父さんのことを歌いたいということがあった。それから当時は戦争で父親を亡くす子どもが世界にはたくさんいて、日本では交通戦争が始まって事故死する人が増えたと言う状況がありまして…。

小学生くらいの子どもっていうのは『死』ということに対して大人が考える以上に敏感なんですね。それまでは子どもの歌というとお子様ランチのように『これくらいでいいか』みたいなところがあったんです。もちろん芸術的な面は別としてもテーマという点でね。だから、むしろ父親が子どもに生きるという意味をストレートに話すような歌があってもいいんじゃないかということであの詩ができたんです。

あれを最初に放送したのは『歌のメリーゴーラウンド』の中だったんですけれど、とたんにすごい反響がきましてね、すぐに『みんなのうた』にも取り上げられたし、レコードにしたいという話も出た。何年かたって教科書に載るという話になったとき、どなたからか問い合わせがきたんです。『これはお父さんが戦争に行って死んだんでしょうか』と。『今の日本ではあり得ないことですが、そうでなくても父親を亡くすという状況はあることですし、特にそういう意味ではない。』と私はお答えしたんです。もし反戦歌ですと言っていたら、教科書には載らなかったでしょうね(笑)。

この歌に関してはその後もいろいろ噂があって、このあいだもある小学校の先生から『これはアメリカで無実の罪で処刑された人を歌った歌なんですね。』と聞かれたこともあります。昔、サッコ・バンゼッティ事件というのがありましてね、どうやらその辺と混同されたらしいんですけど。『読み手がどう解釈されるかは自由ですけれども、とにかくそういう事実はありません。』とお答えしました

 

 

結論は次のとおり。

父は死んだ。戦争・事故死など理由は読み手の理解に委ねる

 

 

・・・・。

「Green(グリーン)」の単語には、他にも意味がある。

【他動-3】〈俗〉~をからかう、だます

 

 

てへぺろ(๑´ڡ`๑)。

近年の歌詞は、大半が「読み手が自由に考えて」というスタンスなので、考察しても意味がない。今後はやめよう・・・。

 
 

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