最近ニュースを見ていると気になることがある。
事件などの被害者や加害者についてのデータをあまりにも
報道し過ぎではないだろうか。ということだ。
それらの内容には、一般市民が知る必要のない詳細なことまで含まれている。
そもそも加害者の顔写真を、事件の解決後市民に報道して一体何の得があるのだろう。
加害者が過去に書いた文章を、市民に報道して一体何を得るというのだろうか。
それから何を学び取ることが出来るのであろうか。
たとえ市民には「知る権利」があり、加害者の顔や心理を知りたいといえども、
その度が過ぎれば所詮は加害者への「プライバシーの侵害」に他ならない。
しかしながら現実は連日の様にワイドショーでおもしろ半分に取り上げられてしまう。
それならば、なぜ市民に対しより有力な手がかりを得るための報道にしないのだろうか。
例えば、神戸殺人事件の時などは犯行声明の文面などを報道するべきであった。
文面の文字の書き方や、癖字などから身内の人や、知人が犯人が彼であると気付き、その後の
犯行を未然に防げたかもしれない。にもかかわらず、我々が目にしたのはワープロ文字で、
また犯罪心理の面から30代前後の男性だと推定した上での報道であった。
女性監禁事件の時などのワイドショーでの取り上げようは長時間に及んだ。
事件当時、女性誘拐をこれだけの報道をして、一般市民に呼びかけただろうか。
万が一、この報道が現在まで続いておれば母親でも愚痴を誰かにこぼし、早期発見が
出来たのではないだろうか。
結局時効や解決した後では、事件に対しての報道の利益はなく、報道されることにより
被害者が最も悲惨に苦しむだけである。
広島で起きた地下通路女子高生殺人事件も、あれだけワイドショーで取り上げられて、
結局まだ犯人の有力な情報も得ぬまま、現在はブラウン管でお目にかかることなく、
多くの他の県の人々は、忘れかけてしまっている。
私は当初マスメディアの光の部分に惚れて、マスメディア系の学部を推薦志望していた。
しかしながらより本を読むにつれ、光の部分よりプライバシーを侵害し
人々の安穏な生活を蝕む残酷な影の部分がやたら目に付くようになり、志望を取り下げた。
マスコミは事件を市民の娯楽の一環の様に皆が興味あるうちは長々と報道する。
話題性があれば芸能人のような、報道されることに価値をもつ人々だけではとどまらず、
芸能人の親族から、関係者についてのプロフィール等の報道がやたら目に付く。
マスコミは視聴率や売上が必要で、より斬新な話題が必要であると言えども、
嘘、大げさ、紛らわしい番組、報道された周りの人が安穏な生活が出来なくなるような
ニュースを極力さけ、それでいて早く、正確な情報を視聴者である市民に伝えるよう
心がけて欲しいものである。