人目を盗んでインターネットに耽溺することもなく、厳しく混沌とした現代の社会を ただ馬車馬のように働いてきた。
ふと見回すと、同期トップとの間には無視できないほどの差が生まれている。
会社が右肩上がりに成長する時代は終わり、管理職ポストは増えず、これ以上の昇進のチャンスは見込めそうにない。
既に出世の道は途絶え、もはや一縷の望みすらない。
そう、負け組人生。
(C) 銀狼/空知英秋
しかし、把捉しても尚、自身で社会に抗う術はない。
30代を追憶すれば、 ただ敷かれたレールの上を、考えず汽車として走っただけ・・・・。
悔しくも、激務に悶えながら、走り続けただけの30代は終点を迎えた・・・。
今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る。
今、万感の思いを込めて汽車がゆく。
一つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。
さらばメーテル。さらば銀河鉄道999。
さらば、少年の日々・・・。
いや、途中から何言ってるの俺・・・。
月日は残酷にも過ぎていき、身体と精神を蝕んでいく。
神童といわれた幼少時代
学級・学年代表を務め続けた学生時代
受賞し続けた大学生時代
首席で卒業した大学院時代
シリコンバレーに赴任した30代前半
そして、MVPにも輝いた30代後半。
全ては引かれたレールの上で得た成果。
40代となり、自分でレールを引いたことがない私は・・・今後は何も無いだろう・・・・。
詰んだな。
日記の文章の表現力が乏しい気がする
20年間日記書き続け、今年は日記を週2回更新を心がけたが今でも表現力・文章力が稚拙だな・・・と、感じる。
【私の日記】
今でも覚えてる。忘れもしないあの日。
あれから9ヶ月経過したが、備忘録として書き記しておく。
その時は、不安で仕方なかった・・・・。
が・・・・
アベシッ!!
私が書くと上記のような日記となる。
それが、
なんということでしょう。
同じ内容であっても表現力が豊かな日記を書ける人もいる・・・・。
【名雲輝明氏の日記】
どんなに時間が経っても、あの日の記憶が薄れることはない。
歳を取って記憶力の低下が顕著に表れているというのに。将来の己を戒めるとともに、同じ轍をほかの人が踏まないように幾ばくかの参考になればという想いを込めて。
それはまるで自分に課せられた義務のようなものだと考えている。
それでは前置きはこのくらいにして、時計の針を9か月前に戻そう。その時は祈るしかなかった。ただただ、ひたすらに祈った。
信仰心のない自分が、かつてこれほどまでに神に祈ったことがあったであろうか。
例え節操がないと非難されようとも、恥も外聞も捨てて祈りまくった。しかし、現実は想像を超えて遥かに非情だった。
「神」は救いの手を差し伸べるどころか、最も辛辣で過酷な天罰を我に与えたもうた。
日記は中身もそうだけど、表現力だけでリアリティさが生まれ全く別の読み物に変わるんだね。
こういう能力って、専門用語で何ていうのだろう・・・・?
- ウィットに富んでる?
- 語彙力が豊富?
- 大和言葉が使える?
- てにをはに精通?
- 類似語を知ってる?
- 比喩が上手い?
- コロケーション堪能?
・・・よく分からない。分からないので検索もできない。悪循環。
高二病的に難解な熟語をならべればよいのか?
類似の文章表現を見つけるサイトを発見した。
うーん、高二病的な難解な熟語を並べただけでは、文章中の表現の広がりは出てこない気がする。
この日記の冒頭の数行がすでに証明している。
文章のジャンルの問題なのかな・・・?
例えば、随筆とかエッセイとか?
随筆とエッセイの違い
興味深い記事を見つけた。
随筆とは、
本当にあった出来事の見聞や感想を自由に描いたもの
エッセイとは、
出来事の描写ではなく、書き手のパーソナルな心の様子を描いたもの、告白的なもの
随筆とエッセイは同じものではなく、まったく別の文学らしい。
私の日記は、完全に「随筆」だ。
で、分かった事は私はエッセイを書くのが苦手だな・・・というのも「告白」が苦手。
でも、告白しなくても文章表現豊かな人もいるよね。なんだろう・・・・?
うーん、婉曲とか比喩表現の違いなのかなぁ・・・。
婉曲表現を使うと急に文学っぽくなった。
知りたかった事に近い気がするので、もう少し調査してみよう。
創作トレーニング
「1週間で文章力を上げる」という記事を見つけた。
これを読むと私の文章は五感を封印して書いているらしい。
そのため、非常に理屈っぽいというか、頭の中だけで書いているような印象を受けてしまうらしい。
作家のように描写の効果が求めたいときは、次のように書くトレーニングをすべきとのこと。
- 写経トレーニング(作家の文章を体感しよう)
- 言葉トレーニング(表現の幅を広げよう)
- 説明トレーニング(分かるように説明しよう)
- 写生トレーニング(ありのままに書こう)
- ディテールを書く
- 読み手に推測させる
- 時間と空間を書く
- 描写トレーニング(出来事を再現しよう)
- 感情を表す言葉を使わない
- 五感を働かせて
- 見てきたように書く
- 細部を書く
- 小道具を使う
- 構成トレーニング(話の入れ物を作ろう)
- マンガのノベライズ
- 名作の骨格を借りる
- 続編を書く
- 仕掛けトレーニング(話をおもしろくしよう)
- 伏線を張る
- クレショフ効果
- 空白補完効果
- 小説だけが参考書ではない
読む人は、文章に書かれたことを読むことで、筆者と同じ体験を追体験、疑似体験する。
そのために五感のなかでも、視覚が重要でテクニックは次の通りだ。
感情を表す言葉を使わない
そのときの場面を再現し、読む人に追体験してもらう。
「寂しい」という言葉を使わずに表現してみると次のようになる。
僕に話しかけてきたのは、場末の自動販売機ぐらいだ。
だから東京に着いたときは、ティッシュ配りのお兄さんの呼びかけすら心に染みた。
表現から主人公の哀愁が漂ってくる。なるほど。
五感を働かせて
五感が封印され、非常に理屈っぽいというか、頭の中だけで書いているような印象なのがこちら。
一方、こちらはどうだろう?
こちらは視覚と聴覚を使って書き、読む人も視覚と聴覚を働かせています。まさに文章は再生装置・・・とのこと。
細部を書く
心の中を説明するのではなく、目に見える情景やしぐさ、表情を書くことで読み手に推測させる。
目尻には皺が、頬には豆粒大の染みが二つあった。以前にはなかったものだ。
二つ・・・というのが、更にも増して老けた様子を表している。
小道具を使う
小道具により人物の心理や性格、属性を表す。
光景が目に浮かぶようだ。うーん、上手い。
まとめ
小説を書くわけではないが、文章力はあって困るものではない。
せっかく日記を書いているのだから、読者に対して共感を与えたり、記憶に残る文章を書きたいよね。
これ、適当に文章書いていても身につくものでは無さそうだ。