論理クイズ(朝日新聞の文章のおかしな点をGPTより賢く発見しよう)

事業部長が変わり、論理的思考が求められた職場から一変、単なるスケジュール厳守が求められるだけの職場と変わってしまった。

 

問題の真因をとことん深掘りし、課題を見つけ施策を打つ

 

とてもシンドい活動だったけど、物事の考え方が変わったと思ってる。

「課題」とは何?(問題・施策との違いとイシューの関係)
「大企業病」という言葉を知ってますか?一般的な説明は次のとおりです。保守的で新しいことが前に進まない状態や、自分の縄張り意識が強すぎて客のことを考える前に社内抗争に明け暮れている状態、意思決定に非常に時間がかかる状態など...

今では部課長の事業活動の説明が「キレイな言葉を並べたポエム」にしか感じない。

OpenAIの「ChatGPT(GPT-4 有料版)」も「Bing GPT」も論理的思考能力が高すぎて、うちの会社の数割の社員不要なレベルww

アイスクリームの売上が大きくなると水難事故の件数が増えました。ということは、水難事故の件数を減らすためにはアイスクリームの売上を小さくする施策をうつのが最適だと思いました!これ画期的なアイデアだと思いませんか?

【ChatGPT】

この仮説は、相関関係と因果関係に陥っている可能性が高いです。アイスクリームの売上が増えると水難事故の件数が増えるという相関関係はあるかもしれませんが、それは必ずしもアイスクリームの売上が水難事故を起こしているという因果関係があるとは言えません。

【Bing GPT】

例えば、アイスクリームの売上と水難事故の件数には、気温という第三の要因が関係しています。気温が高い日には、アイスクリームを食べたり海水浴をしたりする人が多くなります。そのため、アイスクリームの売上を小さくする施策を打っても水難事故の件数を減らす効果は期待できません。

僕たちは知識ではAIに太刀打ちできないため、AIよりも高度な知恵を有する必要がある。

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「頭がいい」というのは「問題発見能力が高い」ということ

社会に出ると「頭がいい」というのは「問題発見・問題解決能力が高い」ということ。

一方で、学校の成績などの頭の良さは、与えられた問題を解決する能力。

何もない状態で問題を発見・解決する能力とは根本的に違う。

 

学生時代に優秀だったが人が社会人になると凡人になる一つの理由はここにある……と思ってる。

では論理的観点から文章を検討してみよう!

この本、最初のサンプル問題が良かった。他の問題は接続詞の穴埋めパズルが大半を占めるが一見の価値がある。

論理トレーニング101題

論理トレーニング101題

野矢 茂樹
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最初の問題というのはこれ。

問1 次の文章のおかしな点を指摘せよ。

「清潔はビョーキだ」の著者がある東京医科歯科大の藤田紘一郎教授(寄生虫学)も、座り派の増加について「清潔思考が行きすぎてアンバランスになってしまっている」と指摘する。「出たばかりの小便は雑菌もほとんどいない。その意味では水と同じくらいきれいだ。なんで小便を毛嫌いするのか。ばい菌やにおいを退けすぎて、逆に生物としての人間本来の力を失いかけている一つの表れではないといいのですが」(朝日新聞、2000年3月26日付朝刊)

「座り派」というのは自宅のトイレでは座って小用を足す「座りション」男性の事。

それを理解した上でおかしな点を指摘して欲しい。

 
 

忘れちゃいけないのが、

論理の力とは思考を表現する力、あるいは表現された思考をきちんと読み解く力

だと言うこと。

 
 

GPTの返答

因みにBing GPTに聞くと次のように答える。

この文章は、小便についての考え方が行きすぎているという指摘をしています。しかし、小便が水と同じくらいきれいだという主張は、論理的展開が飛躍していると言えます。小便には、排泄物や細菌が含まれているため、水と同じくらいきれいだという主張は正しくありません

 

GPTは世の中の常識的な知識をもとに論理的展開の飛躍があると述べている。

これも正しいように見えるが、論理的な破綻している箇所はそこではない。

 

ほぼ本文の引用解答を載せておく。

解答1)論理が欠如した箇所がある

藤田氏の説明を「論理的観点」から見直してみよう。

説明を図示すると次のようなる。

藤田氏はまず「清潔志向が行きすぎてアンバランスになってしまっている」と、「清潔志向の行き過ぎ」を指摘している。

それであれば「多少不潔でも気にするべきじゃない」と議論が展開すべきである。

 

ところが「小便は汚くなくない」と続けてしまう。方向がバラバラである。

「小便は汚くない。だから立っておしっこしてもいいじゃないか」という議論は、あくまでも清潔志向を認めた上でなされるもの。

文章の最初と最後が「清潔志向」に対する苦言であるのに、その真ん中で「小便は清潔だ」と主張する。

この首尾一貫しない点が、論理的観点から言っても不適切。

ただし矛盾している訳じゃないため「非論理的」とまではいえない。

このように主張の方向がバラバラになることは「論理の欠如」を示している。

解答2)無関係な議論が含まれている箇所がある

「出たばかりの小便は雑菌もほとんどいない」と書いてある。

この主張は、便器に付着して放置された「出たばかり」でない小便が汚いのか汚くないのかについて何も述べていない。

しかし、いま問題になっているのは出た小便ではなく、飛び散ってそのままにされた小便である。

 

出たばかりの小便についてのこのコメントは、方向違いどころか、議論に無関係と言える。

解答3)意味がもとの主張と少しずれてしまっている箇所がある

「立ってすると小便が便器について汚い」

という意味に対する反論として

「小便は雑菌もなくきれいだ」

と主張することは、「汚い」の意味がもとの主張と少しずれてしまっている

便器が汚れているというのは、雑菌のことだけではなく、見た目の汚れのこともおおいに含んでいる。

 

 

たとえば「ズボンがコーヒーのシミで汚れた」という人に対して「コーヒーには雑菌もいない。キレイだ」と反論しても的外れでしかない。

おわりに

藤田氏が悪いのか記者が悪いのかは分からない。

……と文章中ではまとめられている。

因みに当時の朝日新聞の記事を見てみるとたしかに同じ文章は存在していた。

全体文章を見ると悪いのは教授じゃなくて記者の方じゃない?

そもそも精神科医や寄生虫学の著名者に質問している時点で、曲解じゃん。

 

実際に上記のような論理展開をしている人を時々見かける。

まぁ、僕のブログだってその一つだけどね。

僕の場合は、幾つかのネタを一つのブログに貼り付けて無理やり内容をつなぎ合わせている。

このため、冒頭で述べた事と結論で言ってる事が関係ないことが多い。

反省の意味も込めて公開しておく。

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