先祖を辿る旅第三弾。第二弾はサクラメントを見て回った。
実は「ルーミス」という町にも20年以上滞在した事も分かってます。
- 1906年に渡米し、1919年には「Rt. Box 20, Loomis, CA」に120acreのぶどう園を経営
現在、ルーミスは大幅に町並みが変わり「Rt. Box 20」という場所は存在せず、全く場所が分かりません。
なので、ルーミスの図書館で古い地図を入手して、その道を探そうと思っています!
ルーミス(Loomis)日本町
サクラメント市から国道80号線で30分北上すると「ルーミス」という小さな町があります。
今では日本人ばかりか、アジア人すら全く見かける事がありません・・・。
こんな町ですが、日本人が住んでいた証拠が今でも残っている場所があります。
ルーミスには「Loomis Japanese Methodist Episcopal Church」と呼ばれる教会があります(6414 Brace Rd, Loomis, CA 95650)
この教会は、ルーミスに住んでいた日本人達が資金を出し合って創立しました。
なので、この教会の裏には「Issei Hall」「Nisei Fellowship Hall」「Kuwano Hall」などが存在し、幾つか日本語でも書かれたオブジェが存在します。
石碑を見ても次のように書いてあります。
「此の教会の創立者たち一世の方々への永遠の感謝のしるしとして 1972年(MEMORIAL JAPANESE GARDEN: A Lasting symbol of the issei, the founders of this church)」
ホールには二世達の多くの写真も貼ってあります。
では、何か一世に関わる情報がないものか・・・・・。
「Leaning Center」で親がお祈りしている間に子供たちの世話をしていた女性スタッフに事情を説明すると、文献が多数置いてある部屋に案内して貰えました。
とても親切なスタッフで1916年に撮影された「教会の設立のために協力したメンバーの写真」なども見せて頂きました。
が、我々の先祖は写ってないようです・・・。
30分程度自由に見せてもらう許可を貰い、書籍棚を調査していると、一冊の本を見つけました。
後で「どこで手に入るのか?」と質問したところ教会に1冊在庫があるので頂けるとの事。教会に$10の寄付をして一冊頂きました!
この書籍には多くの日本人の名前が書いてあるが、結局 肝心の祖先の名前は存在せず。
うーん、、サクラメントと比較しても、ルーミスには日本人が多くなかったと思うのだが・・・・。
先祖はクリスチャンでは無かったのか、人とのコミュニケーションが嫌いだったのか、募金・ボランティアが嫌いだったのか・・・。
120acreの畑を管理するほどの人でありながら教会設立という一大プロジェクトに全く携わってない・・・と言うのが不思議でならない・・。
さて午後からは、ルーミスのダウンタウンと図書館巡りです。
こんな小さな町に本当にダウンタウンがあるのか分かりませんが案内板には書かれてます。サンノゼ、サクラメントを見る限りダウンタウン周辺に日本人街があったに違いないです。
まず図書館を見つけました。
が・・・、残念ながら日曜日は図書館はお休みでした・・・。完全に忘れてました。。
本日のメインイベントが無くなった・・・、どうしよう・・・。
仕方ないので、完全な推測ですがダウンタウンのTaylor Rdに先祖が住んでいたという仮定のもと、車で走って動画を撮影。
ダウンタウンとも呼べないほどの本当に小さな街でした。
今回はこれ以上の情報を得られてないので、また今度来ることにします。
ペンリン(Penryn)日本町
ルーミスのダウンタウンから車で5分、歩いて1時間北上するとペンリン(Penryn)と呼ばれる町があります。
この町の「Penryn Road」には「Dairiki」「Mikawa」「Goto」「Yamada」「Nishimoda」「Maeda」という名前のお店があったそうです。
※実は、このお店の一つが先祖と血縁関係があったことを今は知る由もありません。
近いので行ってみました(場所:2664 Penryn Rd, Penryn, CA 95663)。
恐らく先祖達も、この町に商品を買ったり卸売に行ったに違いないです。
Penryn Roadを車で走り動画を撮ったのでYouTubeにアップしました。
今では日本人が住んでいた形跡が何も見つかりません・・・・・ん?
よく見ると、一件だけ日本に関するオブジェが見えます。
恐る恐る家に近づくと「Mikawa Store」と書かれたポスターが張られていました。
こんな路地でも日本人に関する情報が得られて少し感動。でもこれ以上の情報は得られず・・・。