田能村竹田「山水画」(掛け軸)の真作・贋作の判断に挑戦

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新たな掛け軸の写真が実家から届いた。

田能村竹田たのむら ちくでんかな?

 

竹内栖鳳たけうち せいほう富岡鉄斎とみおか てっさい西郷隆盛頼三樹三郎らいみきさぶろう ……と有名人の落款が入った掛け軸がポンポンよく出てくるね。

 

© こちら葛飾区亀有公園前派出所/秋本治(88巻:究極の贋作の巻)

 

田能村 竹田は日本の文人画家の中ではトップ。

田能村竹田 (新潮日本美術文庫)

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十本あれば十一本が偽物と言われる田能村 竹田たのむら ちくでん

 

例えば「なんでも鑑定団」に登場した円山応挙まるやま おうきょ谷文晁たに ぶんちょう田能村竹田たのむら ちくでん渡辺崋山わたなべ かざんの掛軸は9割以上が贋作。

 

田能村竹田だけでなく後継者とみなされた高橋草坪そうへいの作品にも贋作が多く

 

高橋草坪の真作と幽霊には出会ったことがない

 

と言われるくらい真作が少ない。

「なんでも鑑定団」では本物であれば1,000万円とのこと。

田能村竹田の掛軸|開運!なんでも鑑定団|テレビ東京
偽物。本物であれば1000万円。田能村竹田は日本の文人画家の中ではトップ。清雅な世界、文人が憧れる心の理想郷のようなところを描いている。箱にも「西園雅集図」と書いてあり、中国・宋時代に文人たちが寄って書を書いたり詩をつくったり絵を描いたり…
田能村竹田の書状|開運!なんでも鑑定団|テレビ東京
本物。うっすら水色の修善寺紙に書かれている。宛所が弟子の伊藤樵渓、日付が首夏(陰暦4月)17日。「童山集伝という詩集の紙が1枚ないと問い合わせがあった。風呂敷から出していないのでないとは思うが念のためもう一度探してみる。」後半は岡城諸字詩…
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田能村竹田(1777年~1835年)とは誰か?

江戸、天保期の南画(文人画)家。

豊後(大分県)の直入郡竹田村に岡田藩の侍医硯庵の次子に生まれ、渡辺逢島などに画を学んだ。

享和元年(1801年)に江戸に出て谷文晃たに ぶんちょうについて帰郷して同藩に仕えたが文化9年(1812年)に辞して京阪の間を往来して大阪で没した。

浦上玉堂、岡田米山人おかだ べいさんじん頼山陽らい さんよう青木木米あおき もくべいなどの文人達と交流を持ち 1825年、長崎にて、来舶清人や、長崎派の画家より中国画の技法も学んでいる。

本名は孝憲、号は竹田、九畳(九重)仙史、花竹幽窓主人、随縁居士、他

印名は

「竹田」 「竹田邨民」 「竹田生」 「竹田居士」 「憲印」 「田憲」 「芬陀利華」 「一笑千山青」 「自娯」 「神仙風度」 「無用人憲」 「醉月」 (「酔月」) 「一片秋月」 「小白石翁」 「霊鑑得簫」 「九峰無戒納子」 「奇山異水」 「僕本恨人」 「水色山光」 「孝憲」 「前身胡蝶」 「子斎」 「致中和」 など。

一般の南画家とは異色のある画風で、明清風を翻案した独特の技法による着色の花鳥山水画に特色がある。

掛け軸を味わう

付属品が共箱か確認する

箱には共箱ともばこ鑑題箱かんだいばこ識箱しきばこ極箱きわめばこ合箱あいばこ/あわせばこがある。

種類 内容
共箱ともばこ 作家が作品の内容を記した「箱書き」のある箱。蓋の甲や裏に作品名、作家名が記されており共箱が無い作品の価値は半分以下
鑑題箱かんだいばこ識箱しきばこ極箱きわめばこ 作家の親族・後継者、鑑定者が、本人の作品であると認定した箱。箱には鑑定・認定した人の箱書きがあり、評価としては、共箱と同等の扱い
合箱あいばこ/あわせばこ 本来の箱ではなく類似した別の箱に収納されている箱。価値のありそうな箱だが実際は作品とは無関係

この掛け軸は「合箱」であり落款も署名もない。

箱には「竹田翁筆書状山水」と書かれている。

「竹田粉本」に関する調査

氏名印で「無用人憲」の印が捺されていることから、真作であれば文政末期、竹田が五十代の頃に描いた作品と考えられる。

 

また雅号印には「竹田粉本ふんぽん」と書かれている。

【粉本】
古人・先人の画を写したもの(狩野派には粉本という学習法があり先人の作品を模写して技術を学ぶ
本物の絵の上に紙や絹を置いて透き写す際に、墨でなぞると下の絵を汚すので、白い色の胡粉ごふんを用い輪郭を点々と写すことから粉本と呼ぶ。

描き手の技量にもよるが熟練度の高い修業生なら本物に近いクオリティで再現できると言われている。

 

……ここに来て図鑑に掲載がない落款印が出てきた。

調査した結果「大分県立美術館 研究紀要 第2号」に「竹田粉本」に関する記載を発見!!

印文「竹田粉本」
刻者は広江秋水(1785~1834、下関の文人)。
この時竹田は下関に滞留していた。
文化13年(1816)に竹田が門人につくらせた粉本への使用例があるが、これは後日捺されたものと考えられる。

更に「田能村竹田全集(大正5年刊)」にも掲載されているらしい。これは国会図書館デジタルで閲覧可能。

国立国会図書館デジタルコレクション

 

狩野派の掛軸は贋作が非常に多い理由の一つが

 

粉本によって作られた作品に悪意を持った人物が落款を入れて売却したため

 

と言われている。

落款印を照合する

改めて真作の落款印/冠帽印と本作品を比較してみる。

使うのはいつもの書籍。

必携落款字典

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なんと!氏名印はほぼ完全一致!

 

 

が、雅号印に位置する「竹田粉本」と「冠帽印」は長さや文字の形が全くの別物だ。

 

もし贋作として販売目的であれば、わざわざ「竹田粉本」という落款を捺す意味が分からないけど……。

 

因みに「一括購入の内から、こんな偽物印が出てきました」とヤフーオークションで田能村竹田の冠帽印が売られていたww

403 Forbidden

絵画を読む・感じる

粉本なので田能村竹田が門人に描かせた作品という前提で見てみよう。

何書いてるか……古文書は候文しか勉強してないから分からない。AIでも駄目だ。

雷樹雑々水一謗人家椀昨両
三百門庭無客相来去等之先諸
農紙墨聞清泉榁動日光浮遠
自就狐山裏浮来御り養留両
日均依手洗又茶帳
      竹田生行題

田能村竹田の作品は年を経るごとに、字が左に流れる傾向があり、一説にはメニエール病ではないかと言われている。

そのような部分まで真似ている。

 

オリジナル作品はネット検索では発見できなかった。

本作品は非常に緻密に描かれており素人目線では作品としてよく描けてる気はするけどね。

おわりに

江戸時代に飛ぶ鳥を落とす勢いで日本美術を牽引していた狩野派は【粉本(ふんぽん)主義】という学習方法を採用した。

騙す意図は無かったものの、結果として先人の有名作家作品の模写が数多く世に残った。

後にそれらが悪意ある人の手に渡り、サインが入れられ本物として販売されてしまった。

 

本作品は模写であるため掛け軸の芸術的価値としては無いに等しい……と思う。

ただし「竹田粉本」の落款印が捺された掛け軸は非常に少ないため、歴史的には多少は価値があるかもしれない。

詳しい方はメール等を頂けると助かります。

 

なおアマの人のブログが今後大いに参考になりそうなのでリンクしておく。

 

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