今年のロシアのウクライナ侵攻でも情報戦が行われているように、情報により自由に民を操るという事は全世界・人類史上不変の行動だ。
学校教育の中でも教える側の意図で、白が黒になる(サギをカラスと教えると実際にそうなる)。
ようするに、国家権力を握った側が自由に歴史を作文・作画できることを意味する。
たとえば毎年8月15日には「戦没者慰霊祭」が行われる。
「第二次世界大戦(日本では大東亜戦争)」で亡くなった方々への慰霊
人々もメディアも学校教育も異口同音に
「戦争は悪いことだ、絶対にしてはならない」
と発する。
ただし多くの場合、1941年~1945年の間の戦争だけしか対象にしていない
日清戦争では約14,000人、日露戦争では約116,000人の死者がいる。
日清・日露は良い戦争で、太平洋戦争だけが悪い戦争だった、と言いたいのだろうか……。
既に我々は教科書、親、テレビ、SNSによりマインドコントロールされている……。
同じく、多くの人は「江戸という時代」を、明治近代政権によって改竄された内容でしか知らない。
つまり明治近代政権によって、江戸時代は庶民が苦しみ暗い時代だったようなイメージを持たされている。
ようやく学校の教科書も「士農工商」や「慶安のお触書」は存在しなかった事になってきた。
でも、こんな重要なことを、
調べず、否定せず、事なかれ主義で
ずーと教育してきたわけだ。
農民には名字がなかった?いえありました
塾の講師「名字に『川』『田』『山』『木』などが付いている家の先祖は、農民だぞ~。」
これを聞いて、「川」「田」「山」「木」などがつく苗字の人達は、この何気ない先生の言葉で意気消沈。
翌週、
生徒A「先生、『織田信長』には『田』がついてますが、武将ですよ?」
僕「『今川』『武田』もだよ!」
と反論。
それに対する講師の反応。
講師「はは。笑ってごまかそう~」
無知は罪だ。
因みに僕は過去(真実の追求)に興味をもったが、生徒Aは未来(自分の価値を上げる)に興味を持ち、今では地元で有名な映画監督で億万長者ww
人生の選択って、超超大事!!
話を戻して、当時の本は?
明治時代までは、名字を持つこと許されていたのは、貴族や武士など、限られた人だけだった。
真っ赤な大嘘。
冒頭から間違ってる。
これ、小学校時代に読んだわ。
舐め腐ってる。
国松俊英氏は児童文学作家だ。
せめて郷土史家や歴史研究家を「監修」をつけて欲しかった……。
今では江戸時代に武士以外も名字をもっていた事は分かっている。
それに、当時の教科書を見てみても
「江戸時代、武士以外は名字を名乗ることができなかった」
と書いてあり「持つことが出来なかった」とは書いてない。
武士にとっては、名字を名乗ることあ権利であり義務だった。
武士以外の人たちは公の場所では名前だけしか名乗れなかった。
幕府や藩の公式の記録だけみると、武士以外は誰も名字が書いてないから
「名字を持っているのは武士だけだ」
と錯覚したのだろう。
浅いんだよ。
例えば、江戸時代の俳人「小林一茶(小林弥太郎)」は、柏原の中位クラスの自作農家。
それでも「小林」という名前がある。
士農工商は存在したのか?
私が学生時代には次のように習った。
一番上の士は武士(侍)のこと。農は農民(百姓)、工は職人、商は商人。
どうして農民が二番目に地位が高いかというと、幕府や大名などの支配者が、お前たちは武士の次に偉いんだ、だからきちんと年貢を払うんだと、重税を課せられる彼らにプライドを持たせるためだったんだ。
商人を一番下にしたのも、彼らは金持ちで贅沢しているけど、身分は一番下なんだよと農民たちを納得させるためだったんだ。
良くできた作り話。
これも明治政府が考えて作り出した寓話。
例えば教科書出版大手の東京書籍が発行する教科書では、すでに平成12年度からその記述は削除された事も有名だ。
しかし、今度は
江戸時代は身分制度が無かった
という間違った理解を持っている人がいる。
日本人は極論が大好き。
どこまで日本史を美化させていくつもりなの?
身分制度はあった。
日本にみな平等だった時代など未だにない。
「士農工商」という身分制度はなかったが、身分の格差が色濃く反映された時代
これが江戸時代。
職業選択の自由はなく世襲が原則。中には人として扱われないような人々が存在する差別的社会。
実際の江戸時代の身分制度は、「士農工商」という順列ではなく
- 「士」は支配階級として君臨する
- 「農工商」は並列
- 「エタ(穢多)・非人」は「士農工商の下」に位置付けられるのではなく、別個の身分階層として位置づけ
江戸幕府(や藩)が強制的に「えたやひにんとよばれる低い身分」の人々を生活条件の悪い所に住まわせた。
おわりに(穢多と非人)
身分制度の話をして触れずには終われない穢多非人。
広島では部落差別の教育が盛んであり、やはり我々の親世代は未だに気にしている。
1871(明治4)年に明治政府は、太政官布告というものによって「賎民廃止令」
いわゆる「解放令」を公布し、
穢多非人の制度を廃止した。
穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス
つまり、穢多非人は身分として存在し、身分が下とか上とかではなく別個に扱われていた。
この身分に対して差別的な意識が芽生えたのは、各藩による風俗規制が大きい。
[引用] 部落史研究の成果を組み込んだ社会科歴史授業の開発
たとえば広島の隣である山口(長州藩)は、
「平人」と交わった「えた」は島流しとする。
と、かなり厳しい罰則を規定している。
当然、この政策は、民衆の間に差別感情を形成させた。
この話は調査不足のため、ここではこれ以上は言及しない。