《追悼》日本のジョブズ・時代の寵児と呼ばれた「飯野賢治氏」の凄さ

90年代、「天才ゲームクリエイター」「時代の寵児」と呼ばれた飯野賢治さん。

2013年2月20日、心不全で亡くなった。42歳だった。

心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

私の憧れであり、目標に掲げていた学生時代を思い出す。

 
 

土日は休日出勤し、全力で認証向けの不具合の調査→修正→調査→修正を繰り返していました。

私のやってることは「IT土方(どかた)」です。

アイデア力・企画力・発想力・想像力・・・完全に無縁の8年間を過ごしてしまいました・・・

 
 

一方、飯野賢治さんといえばアーティストの境地に達した天才。

カリスマ性があり、弁が立つ所は、どこかスティーブ・ジョブズに似ている。

 
 

飯野賢治さんの経歴は次のとおり。

 
 

12歳 自作ゲーム「十和田湖殺人事件」がコンテスト入賞
18歳 有限会社インターリンクに入社
19歳 EIMを設立
 ゲーム専門学校の講師
24歳 ワープ設立
25歳 「Dの食卓」リリース
26歳 「エネミー・ゼロ」リリース
27歳 「リアルサウンド~風のリグレット~」リリース
28歳 長男誕生
30歳 スーパーワープ設立
33歳 文芸誌「ファウスト」で小説家デビュー
38歳 「newtonica」をリリース
42歳 プレイステーション4の発表と共に他界

プレイステーション用のソフトだった「エネミー・ゼロ」を、イベント会場で電撃的にセガサターン向けに変更すると発表。1996年の出来事は「事件」として取り上げられた。

3Dバリバリのゲームを作ったと思えば無映像の「風のリグレット」で大ヒットを達成するなど、固定概念にとらわれない彼の発想力も話題となった。

 
 

因みに、スティーブン・ジョブズの経歴は次のとおり。

 
 

21歳 Apple設立
22歳 「Apple II」販売開始
29歳 「Macintosh」発売
30歳 Apple社から追放
30歳 NeXT設立
31歳 PIXERを買収
36歳 結婚
41歳 Appleに特任顧問として復帰
42歳 Appleの暫定CEOに就任
43歳 「iMac」発売

 
 

私はどこで道を踏み外したのか・・・と考えていましたが、

私は、切れ味が悪い古びた木刀だったようです。

 
 

もはや「切る用途」から間違ってる。
 
何もかも間違ってる。
 
もう目標にする時点で間違ってる。

 
 

追伸)今更ですが飯野賢治さんのブログ・書籍「息子へ」が、大震災以降話題になったそうです。

息子へ。

昨日、一緒に、お墓参り行ったな。

一緒に墓参りして、メンチカツ食べて、焼き鳥食べて
イカ焼きまで食べて、楽しかった。

いい墓参りだった。
ちょっと寒かったけどね。

家にいるときと、お墓までの往復の時間と
いつもに比べて、かなり会話したね。
今回の災害と、原子力発電について。

だけど、原子力発電について、結局のところ
「パパはどう思っているのか?」
というのを、ちゃんと言えてなかったように思う。

お前に、自分で調べたり、考える人間になってほしいから
バランスよく、原子力発電の、良いところと、悪いところと
話をしたつもりだけど
それだけだと、父親失格かなあと思えてきた。

パパの意見、を言わなきゃ。

だから、書くね。

..(略)

少しでも意見を持ったら、教えてくれ。

また、そのとき、ゆっくり話をしよう。

楽しみにしている。

昨日の墓参り、よかったな。

パパは、パパのパパと話をしたんだよ。

未来のことを。

だから、パパとも話をしようよ。

未来のことを。

eno blog: 息子へ。

ここに流れる沈着な愛、深い哲学、もうなんといったらいいかわかりませんが、
原発に賛成とか反対とか言う前に、全ての方に読んで頂きたいと思います。
――池田香代子(翻訳家・『世界がもし100人の村だったら』著者)

彼の爪の垢でも煎じて飲むべきでした・・・・。

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